頭の中が、空っぽになると、とても丁寧に生きることができます。
頭の中が、空っぽというのは、
こんな頭の中だったのが、
こんなふうに、静かになって、自分の進む道が、はっきりわかるようになった。感覚です。
それは、
魂の羅針盤という、光が指し示す方向がわかる感覚と同じです。
自分の進む方向が、明確になっていますから、迷うことは何一つありません。
このまま進めばいいだけです。
わたしは、未来が見えるわけではありませんので、この先どんな世界を観ることになるのかはわかりません。
昨日まで、全く興味がなかったことに、急に興味が湧くかもしれません。
わたしは、ただひたすら、今、やりたいと思う事を行動に移していくだけです。
頭の中がやかましかった時というのは、何かをしていても、別のことを考えていました。
例えば、お茶碗を洗いながら、
今日あった不愉快な出来事を思い出したり、
夫や子ども達は、テレビを見てのんびりしているのに、「なんでわたしばっかり」と、不愉快な気持ちになっていました。
ですから、お茶碗を丁寧に扱わずに、
欠けさせてしまうだけでなく、自分の指まで切ってしまうことになったりしていました。
今思えば、
お茶碗を傷つけてしまったのも、指に傷をつけてしまったのも、
わたしがわたしを傷つけていた、意識の世界を観せてくれていたんだろうと思います。
頭の中で考えていることというのは、過去か未来のことです。
わたしは、過去の出来事を思い出しているだけだと思っていますし、
未来の不安のことを考えているだけだと思っていますが、
わたしが、過去のことを思おうが、未来のことを思おうが、
今、この瞬間、わたしから、「不愉快」と一致する周波数のエネルギーを放出していたのですから、還って来るのは、わたしが「不愉快」になる世界です。
外の世界があって、それを観たわたしが反応しているのではなく、
わたしが放出した周波数のエネルギーが還って来た世界を観て、わたしが、反応しています。
その法則があるので、
わたしが、「心地良い」と思う世界を体験したいのであれば、
今、この瞬間、わたしが放出する周波数のエネルギーは、「心地良い」ものでなければ、ならないわけですが、
そんなことは、全く知りませんでしたから、考えたい放題、思いたい放題でした。
頭の中が、
こんな状態になると、何も気にならなくなるので、ただただ、丁寧に、丁寧に、今、この世界を楽しめばいいだけの世界になっていきます。
わたしは今、その世界に、足を踏み入れ始めたようです。
想像もつかなかった、とんでもない世界が観えてくる気配がします。