どんなに、美味しい物を食べても、
どんなに素晴らしいプレゼントをもらっても、
どんなに褒められても、
この半端ない満足感とは比べることはできないほどの満足感を、味わっています。
一時的な満足感ではなく、
持続するこの満足感は、
心が満たされ、
ゆとりがあり、
どんな厄介なことが起きようとも、やり切れる自信があるという満足感。
何かを常に追い続け、
何者かになろうとし、
その為には、何かを手に入れなければならないと、空回りばかりしていた頃とは、雲泥の差です。
今日、知人も同じことを言ってました。
「わたしは、何も変わっていないのに、こんなに変われるとは思っていなかった。」
ひたすら、自分と会話をし、
ひたすら、自分に質問し、
今、この瞬間、やりたいと思った些細なことを直ぐに行動に移し、
思考が、ジャッジをしたら、
「そう思ってるんだよね。」「うん、そう思ってる。」 と認めていく。
自我が、目の前の人を思い通りにしようと動きだしたら、
「思い通りにならないんだよね~これが。」と、諦めて、追いかけるのを止める。
望むことが生まれたら、
「そうなるといいなぁ」
その後は、目の前の現実を丁寧に生きる。
そんなことを繰り返していたら、
自分自身を信じられるようになって、
自分の感覚に応じることができるようになって、
自分のやりたいがわかるようになって、
そうなったら、満足感で満たされるようになった。
と、知人が話してくれました。
本当のわたしは、自分を見つけてくれることを、ずっと待っていたんだろうと、そう思います。
人間だと思い込んで生きていた毎日は、幸せを求め続けていたように思います。
知人が言います。
「前は、スーパーでケチケチしながら買い物をしたあとに、コンビニに寄って、無駄なお金を使っていたのに、そういえば、いつの間にかコンビニに寄らなくなってる。」
わたしの内側が、満足で満たされると、現実の世界で欲しいと思うモノが無くなっていきます。
結局、お金も溜まり始めます。
わたしの内側の枯渇は、外の世界に満足を求め、不用な買い物をし、一時的な満足感を得ようとし、結局、お金も無くなっていきました。
何の不満もない日常がありました。
この満足感は、どんどんと宇宙銀行に溜まっていくような気がします。
そのうち、溢れ出すんじゃないかと、そう思います。