きっと、

 

頭の中を空っぽにして、

 

自分の感じる感覚を辿っていけば、

 

幸せに成るもならないも、幸せに成るようになっているんだと思います。

 

 

 

 

やりたいと思う。

 

好きだと思う。

 

愛してると思う。

 

助けたいと思う。

 

頑張りたいと思う。

 

謝りたいと思う。

 

一緒にいたいと思う。

 

話したいと思う。

 

笑いたいと思う。

 

楽しいと思う。

 

 

 

何かを期待して、それをやるのではなく、

 

ただ、ただ、自分の本当の気持ちに素直になって、

 

その気持ちのままに、動いていけば、

 

幸せにしか成らないんだと、思います。

 

 

 

色々な体験をしてきたことや、

 

そうでなければならないという条件が、

 

本当の気持ちのままで生きるという選択が、できなくなってしまったんだろうと思います。

 

 

 

自我という垣根を越え始めたら、意識の世界ととてもつながりやすくなってきました。

 

 

「◯◯なんだけど、どうしたらいい?」

 

「想いを聴いたら?」

 

「そうか。そうしてみる。ありがとう。」

 

瞬時に答えが還ってきます。

 

 

 

確かに、家族や友達に話しを聞いて貰っても、その答えがでるかもしれません。

 

でも、人間同士ですから、まずは、「こういうことがあってね・・・」と、話しをしはじめたとしても、相手は、あったこともない人のことや、見た事もない何かのことを聞かされている状態です。

 

わたしが観る角度で捉えたAさんという人の話しをするわけですから、

 

わたしが、Aさんは、こんなにイヤな人だと話しをすれば、

 

当然、聞いた人は、会ってもいないAさんのことを、想像で人物像を膨らませ、最初からイヤな人と捉えて話しが始まります。

 

 

 

 

意識の世界(宇宙)は、わたしの全てを知っています。

 

わたしが何を思っているのか、その人が何を思っているのか、筒抜けです。

 

一切、誤魔化しは通用しません。

 

その上で、アドバイスをくれます。

 

 

 

このアドバイスをくれるかどうか・・・

 

というより、わたしが聴こえるかどうかの条件があるんです。

 

 

 

 

わたしが、わたし中心、いわゆる自我を発動させて、

 

わたしの思うようにしたいための質問だったり、

 

相手のことより、わたしを優位に立たせたいために質問しているときは、答えは還ってきません。

 

 

「あなたは、わたし」 を軸にして、

 

“わたしだったら、そんな時、どうして欲しいと思うだろう。”

 

その位置に、わたしの意識をもっていくと、すぐさま答えを還してくれます。

 

 

言い方を変えれば、

 

答が還ってこないときは、自我が発動して、わたしの都合の良いようにしたいと思ってるからだなと、気づくことができて、仕切り直しができます。

 

仕切り直しとは、

 

宇宙の流れから外れたわたしの意識を、宇宙の流れに戻すことです。

 

 

 

 

 

目の前の現実世界を観て、思考は直ぐに、それが問題だと捉えます。

 

問題とは、

 

まだ何も起こってもいないのに、

 

「そのままでは、こうなってしまう。ああなってしまう。」

 

「そんなことをするから、言うから、わたしがこんな思いをするんだ。」と、

 

不安や恐怖、憎悪や、辛さを、その出来事にくっつけて、自ら問題にしてしまうことです。

 

 

 

 

知識や体験は、必ずわたしの人生で活かされるようになっているようです。

 

でも、その知識や体験よりも、もっともっと素晴らしい叡智を与えてくれるのは、

 

わたし自身の中にある『意識の世界』(宇宙)です。