わたしの思っていることを、言葉を遣って伝えます。

 

でも、必ずしも、言葉の持つ意味と、わたしがその言葉に乗せている想いが一致しているとは限りません。

 

 

 

「ありがとう」 とは、感謝を表す言葉でありますが、

 

「ありがとう」 と言いながら、心の中では、

 

“余計なこと、しなくていいのに。”

 

そう思うことも可能です。

 

 

 

宇宙の法則は、観えるモノや、聴こえる音に反応しているわけではなく、

 

そこから伝わる周波数のような、エネルギーに反応しているように思います。

 

 

 

 

何かを作った時に、適当に作ったモノと、丁寧に作られたモノとでは、何かが違います。

 

わたしは、骨董品には全く興味がありませんが、それでも、本物と偽物を、隣り合わせに比べてみると、

 

どう表現していいのかわからないけど、「あぁ、やっぱり違うね。」 そう思います。

 

 

 

 

この宇宙の法則は、絶対で、全く裏切ることはありません。

 

あなたは特別だからと優遇されるような采配は、一切ありません。

 

 

 

だから、言葉には反応しません。

 

英語、日本語、ドイツ語、フランス語。

 

日本語でも、方言があります。

 

 

その言葉に乗っかった、本当の想いに反応します。

 

 

 

言葉より、想いの方が強いイメージです。

 

 

 

「大丈夫だよ。」

 

そう言いながら、不安が乗っかっていれば、不安のエネルギーを放出しています。

 

 

 

 

願いが叶う、叶わないというのには、いくつかの要因がありますが、

 

願いが叶わない一つの要因としては、この言葉と想いが一致していないことがあります。

 

 

 

願っていることと、本当の想いが、相反しているときは、

 

 

 

綱引きをしているように、どちらにも動かないイメージです。

 

 

 

願いは、叶えようとすると叶わないのに、

 

願っていると思っていないくらいの時に、叶ってしまうことがあります。

 

 

 

叶えようとする時は、何かしらの欲があったり、別の想いが乗っかっていることが往々にしてあるように思います。

 

意識していることは叶わないけど、

 

意識していないことは、叶ってしまうなと思います。

 

 

 

表側のわたしは、自分の姿(意識)が観えないけれど、

 

鏡に映った、裏側のわたしを観ることができます。

 

その裏側のわたしを観て、表側にいるわたしは、自分の姿(意識)を認識することができ、

 

認識することで、陰陽一対になり、わたしの意識は、どちらにも偏らなくなります。

 

 

 

 

偏りが多い(自我が強い)と、何をやっても綱引きをしている状態になるため、

 

思うようにならない世界を体験します。

 

 

 

 

 

願いが叶う時の絶対条件の一つに、『正直』になることがあげられます。

 

 

実際の体験なのですが、

 

「やけくそ」になった時、願いが叶ってしまうんだと思ったことがあります。

 

 

 

わたしが出版した本にも書いていますが、

 

わたしの息子が入院していた時は、クリスマスを迎えるような時でした。

 

外の景色や、テレビなどでも、クリスマスのことがやっていました。

 

でも、息子とわたしは病院の中にいて、強い抗がん剤を使っても、息子の腫瘍は小さくならず、わたしは、やけくそになっていたのです。

 

その時に、神様に向かって、心の中で言いました。

 

「クリスマスなんて、どうだっていい。1億回お願いをすれば、息子の病気が治るのなら、1億回でも何億回でもお願いをするから!!」

 

本当に、やけくそでした。

 

神様を、崇めるどころか、野郎扱いです。

 

「おまえは、神様だろう。神様だったら、息子の病気を治してみろ!!」

 

そんな想いでした。

 

最終的には、息子は亡くなってしまいましたが、でも、あのクリスマスの日、もうダメだろうかと思っていたあの日、プレドニンを処方してもらって、おしっこが沢山出だして、浮腫んでいた息子の顔は、どんどんもとの顔になり、

 

1日に、温泉卵1つしか食べれなかった息子が、朝から、目玉焼き2つ、ベーコン2枚、トースト1枚を、ペロリとたいらげるようになって、3ヶ月間最高の思い出を創ることができたのです。

 

 

 

それともう一つ。

 

これは、わたしの体験ではなく、知人の体験なのですが、

 

知人は、車を買うお金がなくて、でも、車がないと何もできないような場所に住んでいて、

 

その時乗っていた車は、いつ壊れるかわからないような状態だった時、

 

「なんで、こんな思いをしなくてはならないんだ!!」みたいなことを、泣きながら車の中で思いっきり言ったんですって。

 

そうしたら、妹から

 

「ぼろい車で運転していて事故でも起こすといけないから、お母さんと私(妹)で、お金を出すから車を買いなさいよ。」

 

と電話があって、車を購入したんです。

 

 

 

 

 

この奇跡が、どうやって起こったのかはわかりません。

 

でも、共通しているのは、

 

神様に向かって、正直になって、本当に助けて欲しいと思ったことです。

 

 

 

切羽詰まった状態。

 

もう頼るものが、神様以外にない状態。

 

 

 

“どうしたらいいんだろう” ではなく、

 

“どうすればいいのか教えてよ!!” の方向。

 

 

 

 

それは、人間意識を捨てて、

 

「わたしは、何もできないんだ」と、認めているのかもしれません。