この体を動かしているのも、

 

「これをやりたい」と思っているのも、

 

生活の為に、働いているのも、

 

子どもを育てているのも、

 

わたしが、そうしたいと思っていたから、そうしてきた。

 

 

 

 

苦労したり、辛い思いをしたり、

 

笑ったり、泣いたりするのも、

 

それが、わたしであり、

 

 

 

病気になって辛い思いをするのも、

 

大切な人を亡くすのも、

 

それが、人生というものだと、

 

それが、わたしの人生だと思っていました。

 

 

 

 

でも、その生き方は、

 

とても、息苦しい。

 

 

 

でも、その生き方は、

 

いつも、こんな人生でいいんだろうかと、

 

わたしを、悩ますモノでした。

 

 

 

 

主導権を、譲り渡す。

 

いったい誰に?

 

 

主導権って何?

 

誰が、主導権を握っているの?

 

 

 

それは、自我のわたしでした。

 

 

 

 

頭で色々考えて、行動しているけれど、

 

それはいったい何のためだと問われたら、

 

「幸せに成りたいから。」

 

 

 

 

『しあわせの青い鳥』じゃないけれど、

 

そうやって、ずっと外の世界に意識を向けて、

 

幸せを探し続けてきたように思います。

 

 

 

食べれること。

 

眠れること。

 

動けること。

 

話せること。等々

 

 

感謝することは、いくらでもあるけれど、

 

喉元過ぎればなんとやらで、

 

それが満足すると、誰かや何かと比較して、次の枯渇を探しだして、

 

わたしには、これがない。あれがないと、

 

幸せを追いかける。

 

 

 

それは、自我が主導権を握っていたからでした。

 

 

 

 

自我を、手放し続け、

 

比較するモノが無くなって来て、

 

ようやく、感覚優位になってきて、

 

ようやく、主導権を、意識界のわたしに譲れるようになってきました。

 

 

 

「傘、忘れたよ。」 と、教えてくれるあの感覚を、

 

そのまま日常生活で使います。

 

 

 

導かれるままに、それを行動に移していきます。

 

「傘、忘れたよ。」 と、教えてくれたのに、

 

「めんどくさいから、まあ、いいや。」 と、抵抗するのではなく、

 

「ありがとう。傘、持って行くね。」 と、導かれるままに行動してみる。

 

 

 

現実の世界で、わたしの域の超えることが起きたら、

 

「どうすればいいか、教えて欲しいの。」

 

そう、伝えて、あとは、導かれるままに行動してみる。

 

 

 

 

自我優位の時、わたしの感覚や閃きに委ねるなどできませんでした。

 

そんな不確かなこと、何の保証もないこと、

 

そんな、わたしの感覚や閃きに、わたしの人生を託すなどできませんでした。

 

 

 

 

自我のわたし > 感覚や閃き  の世界が、

 

自我のわたし = 感覚や閃き  となり、

 

自我のわたし < 感覚や閃き へと逆転してきています。

 

 

 

それは、心も、体も、とても楽な世界です。

 

だって、わたしは、何も考えなくていいんです。

 

 

頭を使うのは、言葉、計算、記憶が必要な時だけで、

 

あとは、お任せ。

 

 

 

どうあったって、わたしの知識や経験なんて、微々たるモノです。

 

 

 

おまけに、自我の世界は、とても狭く、窮屈な世界です。

 

 

 

この感覚を掴むまで、3年ほどかかったと思います。

 

自分の感覚や閃きを信じれるようになるまで、検証を繰り返しました。

 

わたし達は、自分が本当にその体験をしない限り、信じることができないからです。

 

 

おまけに自我が邪魔をして、

 

わたしの感覚や閃きのように見せかけてきました。

 

 

その違いを、確信に変えるまで、3年ほどの時間を必要としました。

 

でも、諦めず継続してきて、今、ここにいることができて、良かったと思います。

 

 

 

でも、まだ、学びも成長も続きます。

 

 

『ただ、幸せになる』

 

このタイトルで、本を書けるまでになれたら、どんなにいいだろうと思います。