わたしは、自分の胸に感じる感覚を、一番優先しています。

 

 

肉じゃがを作る時の、砂糖の量、醤油の量など、調味料を入れる時の、さじ加減や煮込む時間、

 

家事に取り掛かる順番や、このブログに載せるイラストの選択・・・

 

とにかく、全て、胸に感じる感覚で確認しています。

 

頭(思考)では、選択しません。

 

 

 

 

スピリチュアルの世界に、足を踏み入れる前から、薄々感じていました。

 

「どうも、この胸に感じる違和感をそのまま放置すると、トラブルが起きるぞ。」

 

そんなふうに感じるようになっていました。

 

 

 

そう感じていても、一番信じられないのは、わたしのその感覚でした。

 

どうあっても、今までの体験や、常識だと思う事、周りのことが優先して、

 

胸に違和感を感じても、それを押しのけるように現実を生きていました。

 

 

 

 

今は、それとは真逆で、一番信頼しているのは、この胸に感じる感覚です。

 

何故なら、ここ数年、この感覚を優位にしたらどうなるのかを検証し続けた結果、

 

わたしの思考より、一番信頼できるとわかったからです。

 

 

 

 

 

今日は、朝から主人と、総合病院へ行ってきました。

 

主人は、副鼻腔炎で5ヶ月くらいまえから、耳鼻咽喉科を受診し、内服を続けていました。

 

咳が出るので、耳鼻咽喉科を受診したら、副鼻腔炎だと診断されたからです。

 

でも、5ヶ月経っても改善傾向にならず、主人も辛くなってきて、手術をするしかないならと、紹介状を書いてもらったのです。

 

手術をするとなると、しっかり話しを聞いておきたいと思い、わたしも一緒に行くことにしました。

 

正月明けに、紹介状をもらってきたのですが、わたしの胸の感覚をイメージでいうと

 

「拍子抜けした感じ」

 

なのです。

 

 

 

わたしは、看護師で、手術室でも働いていましたから、病気のことも手術の流れもよくわかっています。

 

主人が、咳き込むのを見ているのは、辛いものがあります。

 

ですから、手術して良くなるなら、その方がいいと思いもしますが、手術というのは、やはり色々なリスクがあります。

 

でも、手術するほどではないから、内服で様子をみましょうと言われたら、今と同じです。

 

 

 

個人病院で受診していましたから、CTを撮っていませんから、CTの結果次第だなとは思っていましたし、ジタバタしても仕方ないので、主人が決めた治療法をサポートしようと決定していました。

 

 

 

ブログでも書いていますが、わたしは常に、息子と話しをしています。

 

 

「手術になるのかな?とにかく最善の結果になるといいね。」

 

そう、息子に言いました。

 

息子は、事前に、診断結果を教えてくれるわけではありません。

 

でも、そうやって話しをしている時の、わたしの胸の感覚は、

 

拍子抜けした感覚です。

 

手術をすることになるなら、もっと重い感じがするだろうに。そう思いました。

 

 

 

 

こういう感覚は、誰もが持っています。

 

例えば、自分の体調が悪くて、病院へ行った方がいいかどうかという時、

 

「ガンかもしれない」とか、「何か悪い病気ではないか」と思う時、その結果を聞くのが怖くて、

 

「今日は、体調がいいから、きっとなんでもないんだ。」と、

 

自分で自分の体調を誤魔化して、なかなか病院へ行かずにいて、結局どうにもならなくなって受診したら、遅かったとか。

 

 

 

知人から、急に、「胃カメラも時々はしておいた方がいいよね。」なんてことを言われて、

 

どうも行っておいた方がよさそうだなと思って受診した結果、初期の癌だったり。

 

 

 

わたし達は、守られているんです。

 

 

 

 

 

主人の話しに戻ります。

 

CTを撮ってもらった結果、歯が悪さをしていたんです。

 

 

 

 

わたし達の顔の部分は、脳、目、鼻、口が、隣り合っています。

 

主人の左上奥歯の根っこのあたりに炎症が起きていて、それによって上顎洞に若干膿が溜まっている状態になっていることがわかりました。

 

主人は、3ヶ月に1回くらい定期的に歯の健診に行っていますし、虫歯もありません。

 

炎症が強いと、歯が痛むこともあるらしいのですが、それもありませんでした。

 

 

 

結局、今週の金曜日に口腔外科を受診することになって、

 

抗生剤を内服して様子をみるか、抜歯をするかは、その時に決定しますが、確かに副鼻腔炎ですが、原因は、歯でした。

 

 

 

「なんだ、そういうことだったんだ。」 と、息子に話すと、

 

「ね、成るように成るでしょ。」 そんな返事が返ってきました。

 

 

 

 

 

 

そうやって、息子と話しができるのは、わたしだからであって、誰もができることじゃないと思うかもしれませんが、それは違うと思います。

 

 

 

誰もが、無意識にしています。

 

「うどんにしようか、そばにしようか。どっちにしようかなぁ。やっぱり、うどんだな。」

 

いったい、誰と相談しているんでしょうか?

 

 

 

 

わたしは、思います。

 

 

心が、不安定になるのも、

 

体調が悪くなるのも、

 

人間として生きるからだと。

 

 

 

 

意識界のわたしと繋がる。

 

 

 

この繋がりが薄れていくと、心も体も動けなくなっていくんだろうと思います。

 

 

 

自分の感覚を信じるということは、自我にとって一番不安で恐怖なことです。

 

でも、やってみてください。

 

自分の感覚で選択したらどうなるのか。

 

 

 

誤魔化しは、一切通用しません。

 

言い方を変えれば、

 

自分に正直に素直になれば、通用するということです。