霊性進化プロセスを体験していくとき、学びがなければ、いつまでも同じ体験を繰り返すことになります。

 

人間世界で言えば、赤点をとっているので、いつまでも同じ単元の問題を出されている状態になります。

 

 

 

 

ではでは・・・ということで、外の世界を観て、何とか学ぼうとする時、

 

どうあっても引っかかってしまうのが、人間意識の『善悪』です。

 

 

 

 

わたし個人が、何を『善』として、何を『悪』とするかは、わたしが決めていることであり、

 

この地球上の全ての人が、わたしと同じ『善悪』を決めているわけではありません。

 

 

 

 

それだと、新幹線の座席の背を、後ろに倒す時、後ろの方に、一言言ってから倒すのが正しいのか、それとも言わなくてもいいのか。

 

みたいな、水掛け論になってしまいます。

 

 

 

 

霊性進化プロセスには、捉える角度があります。

 

 

 

例えば、何処かのカフェに行って、

 

 

 

注文したモノと違うモノを、テーブルの上に置かれたとします。

 

 

この時、腹が立って、怒ってしまったとします。

 

でも、ハッと気づいて、

 

「いけない、いけない。こういう時は、怒らずに、注文と違いますよと、冷静に言わなくてはいけなかった。」

 

「今度からこういうことがあったとき、一呼吸おいて、冷静に話しをするようにしよう。」

 

 

という捉え方は、学びではなく、ただ単に、

 

「怒ることはいけないこと。」

 

と、善悪を決めつけているだけになります。

 

 

 

 

霊性進化プロセスは、わたし自身が、同じ場面を観ても、小学生の時に感じた想いと、

 

今のわたしが感じた想いは違うように、

 

捉える角度が変わってきます。

 

 

 

 

注文したモノと違うモノが届いた瞬間なら、

 

“わたしの今関わっている何か、または思っていることで、勘違いしていること、間違えて捉えていることはないか?” と、自分を観察します。

 

 

もし、腹が立ったことで自分を観察するなら、

 

“なぜ、腹が立ったんだ?間違えるということが赦せないわたしがいるのか?わたしが間違っているのに、相手が間違っていると思い込んでいることはないか?”

 

 

等々、必ず、自分に還します。

 

 

 

次は、裏側のわたしを探しにいきます。(この詳細は、またいつかお話しします。)

 

 

 

目の前の現実は、わたしの意識の投影だからです。

 

必ず、わたしが反応した時は、何かを観せてくれています。

 

 

 

 

自分が何を思っているのか、何を思っていたのかが明確になってくると、

 

1日のうちで必ず誰かが、わたしの思っていることと同じこと、または真逆のことを言っていることに気づきます。

 

 

 

本当に、この世界は鏡の世界だと、笑ってしまいます。

 

 

 

 

外の世界を観て、自分の意識の世界の何かに気づくと、

 

とても心が軽くなって、さっきまでいた世界と違う世界 = 周波数が変わった。ような感覚を味わいます。

 

 

わたしは、この感覚がしたとき、

 

「あっ、次元上昇したな。」

 

と、感じます。

 

 

逆に言えば、この感覚が無い時、学びになっていないなとわかるので、

 

もう一度、捉える角度を変えてみます。

 

それでもわからない時は、しばらく放置です。

 

 

必ず、再び同じ問題、もしくは、観なおすような問題が出されるので、その時に再トライです。