「魂の学び」
ず~~~っと前、もう10年以上も前に、その言葉を知りました。
でも、思いました。
「魂の学びって何よ。」
わたしにとっての学びは、
勉強して知識を得ることであったり、
縁があって、色々な人と出会うことで、人間関係が拡がったり、
色んな体験をすることで、知らなかったことを知ることになったり、
いい人と言われるような人になることが、
学びだと思っていました。
でも、そうじゃなかったようです。
でも、結果的には、
勉強することになって知識を得たり、
人間関係が拡がったり、
体験していないことを体験していき、
いい人になろうとしなくても、穏やかにいられるようにはなっていくのですが、
そうなろうとしなくても、
宇宙の法則に気づいていくことで、その方向へ向いていくように思います。
外に観える世界と、自分の意識の世界を、観察していくことになりますが、
そこには、必ず「気づき」があります。
「ハッ」と、気づかされたり、
「エッ」と、気づかされたりすることで、
「そういうことだったのか」という学びにつながって、
それを実行していく。
「気づき」と「学び」と「体験」が、ワンセットになっています。
このワンセットの内容は、必ずレベルアップしていきます。
それは、わたし達が、
幼稚園 → 小学校 → 中学校 → 高校 → 大学 → 社会人
というプロセスを辿るのと同じで、
幼稚園から、一気に社会人になることはないような、レベルアップです。
人間社会では、年齢で学年が上がっていきますが、
霊性進化プロセスは、人間年齢は全く関係がありません。
おまけに、どうなれば小学生になったことがわかって、
どうやったら中学生になるのかもわかりません。
どれだけ学べば、高校生になれるのか。
何を学べば、大学生になれるのかさえわかりません。
中学生までは、一気に行けたのに、
高校生から大学生になるのに、いったい何浪すればいいんだろうと思えるほど、
そのタイミングがなかなかやってこなかったりします。
またね・・・このタイミングというのが、自我にとってはやっかいで・・・
外に意識を向けてしまうと、途端に気づけなくなるという・・・
イメージでいうと・・・
財布の中をしっかり見ながら、お金を取り出せばいいのに、
他のことを考えていたり、財布の中をしっかり見ないでお金と取り出そうとして、お金を落としてしまうような感じです。
要するに、大切なモノを、取りこぼしてしまうような状態です。
起きている間ずっと、自分に意識を向け続けるのは、相当意識をしていないと難しい。
それがわかっていても、自分に意識を向け続けるのは、
観る世界が変わってしまうという体験をしてしまったからです。
『自我の世界』ではない『もう一つの世界』が、あることを知ってしまったからです。
でも、まだまだです。
「あぁ、二元性の世界にいるな。」 と、思い知らされます。
『もう一つの世界』の方へ、完全に移行したいな。
なにせ、『自我の世界』は、もう嫌っていうほど体験していますけど、
『もう一つの世界』は、
ちょぴっとだけです。