自我の世界にいた時、お金があれば楽になると思っていました。

 

 

「今日、こんなこと言われて、イヤな思いをした。」

 

「あの人がいると、ほんと、憂鬱になる。」

 

そんな人間関係のいざこざは、当たり前のように存在し、

 

生きていれば、いつだってそんなことは日常的で、

 

そこをうまくコントロールするのが、人としていい人なのだと思っていましたから、

 

それと「楽」とは、全く関係のないことで、

 

人間関係は、人間関係。

 

お金は、お金。

 

 

そんなふうに捉えていました。

 

 

 

 

 

でも実際には、人間関係とお金も、全て繋がっていました。

 

 

 

 

いい加減なことをしていれば、人間関係も、お金も、上手く回らなくなっていきます。

 

お金は、あくまで、結果です。

 

色々な観えない関係性が、お金という観える結果になった。

 

 

 

ですから、

 

「楽をしたいから、お金が欲しい。」は、

 

独りよがりの、我欲そのもので、全く循環のない状態なのに、そんなことも気づけませんでした。

 

 

 

 

 

霊性進化プロセスを歩んできて、「楽」の中味に変化が起こりました。

 

今、わたしはとても「楽」な世界にいます。

 

 

 

でもそれは、自我のわたしにとっては、めんどくさく、やりたくないことをやっています。

 

 

 

大谷選手は、

 

「誰でもない、自分の欲と闘っています。」 と、コメントしていました。

 

ラーメンも好きで食べるようですが、取り過ぎた脂肪や炭水化物を、他の食べ物では控えたり、

 

甘い物は、基本好きだそうで、だけど自分の中で、これは食べる、これは食べないと決めていると言います。

 

 

 

 

自分を律する。

 

 

自分を律することができるのは、わたしだけです。

 

自我の世界に、どっぷり浸かっていた時は、律するも何も、そんなこと、1㎜も思っていませんでしたから、我を通す一方でした。

 

 

自我の世界の構造を知るようになって、

 

自我の世界では、やらなかったことをやっています。

 

 

 

やらなかったこととは、

 

自分を律することです。

 

 

 

 

 

ある程度までは、自我に引っ張られます。

 

ある程度までくれば、自我に引っ張られることもあるけど、自分を律することもできるようになります。

 

それに慣れてくれば、自我に引っ張られる方へ意識を向けると、不快感を感じるようになります。

 

 

 

 

自我にとっての「楽」は、自分は何もしないけど、でもやりたいことはやりたいし、欲しい物は欲しい。自分の好きなことだけしていたい。

 

みたいな「楽」でした。

 

 

 

本当の「楽」は、とても穏やかです。

 

穏やかだけど、凛としています。

 

 

本当の「楽」は、循環しています。

 

「わたしだけが、楽になりたい。」そんな「楽」は、消滅してしまいます。

 

 

 

何があっても、『魂の羅針盤』の流れに戻れば、抵抗がなくなります。

 

オールも持たず、穏やかな川の流れに乗っている感覚です。

 

 

抵抗があるというのは、上流に向かってオールを一生懸命に動かしている状態です。

 

 

 

誰もが、生まれる前に決めてきた『魂の羅針盤』

 

この流れから外れる意識の遣い方をすると、必ず感情でサインを送ってきます。

 

 

 

「お~い、正しい道から外れたよ~」 ってね。

 

 

その愛図に素直になって、戻る方法(穏やかになる方法)を、自分で何度も何度も思考錯誤しながら検証していきます。

 

頭ではなく、胸がスッキリする方法。

 

 

 

否定は、「楽」の逆方向へ向いてしまいます。

 

本当のわたしが、「やってはいけない」と思う方向は、否定です。

 

本当のわたしが、羅針盤の方向へと導いてくれています。

 

 

 

 

 


上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。