「こうすれば、ああなる。」
「ああすれば、こうなる。」
そう決めつけていたのは、わたしで、
自我の世界で生きていたことで、
同じことを繰り返していたことで、
「わたしの人生なんて、そんなもんだ。」 と、勝手に決めつけていたのは、わたしでした。
この世界は、いつでも「ゼロ」からスタートできるしくみになっています。
自我の世界は、想いや感情で、溢れかえっています。
想いや感情で、次の言動や行動を決定してしまいます。
腹が立ったら言い返す。
わたしの思う通りにしてくれないと、イライラする。
放出した怒りや、イライラが、再び還って来て、また同じことを繰り返してしまいます。
放出したエネルギーは、必ず還ってくるという、宇宙の法則があります。
自分が観ている目の前の現実は、全てわたしの意識の投影です。
鏡の法則が成り立っています。
この法則が存在しているので、必ず法則通りになります。
この法則を無くすことはできません。
想いや感情は、ものすごい勢いです。
この想いや感情に振り回されないようにするには、
常に自分のことに意識を向けていなければなりません。
好きな人や、逆に嫌いな人の言動や行動は、とてもよく観察しますが、
自分のこととなると、本当にわかりません。
「あの人は、いっつも約束を破る!」
と、怒っているわたしが、実は、いつも他の人に対して、約束を破っていたりします。
24時間、365日。
わたしは、ずっとわたしと一緒にいます。
だのにわたしは、本当のわたしのことを知らないのです。
それは、わたしがわたしの顔を、鏡を遣わなければ観えないのと同じです。
わたしを知らなければ、自我の世界を脱出できないしくみがあります。
鏡の法則は、わたしの知らないわたしを観せてくれます。
常に、わたしを意識しはじめると、わたしのことをスローモーションのように捉えることができるようになってきます。
想いや感情に、意識を向けなくなるからです。
スローモーションのように観えるようになると、
ストップがかけれるようになります。
そうなると、いつでも、
繰り返される流れから、脱出することができるようになります。
脱出することができるようになると、
「ゼロ」からスタートができるようになります。
自我の世界では、望みが叶って欲しい思うと、自分の想いが強くなります。
偏りが強いと、必ずバランスをとろうとするので、
その願いを持った、逆の想い = 裏側のわたしの想いが、観えるようになってきます。
「ゼロ」に戻すということは、どちらにも傾いていないため、宇宙の采配が起こります。
調和とバランスの取れた采配です。
でも自我は、そんな采配に任せることなんてできません。
「こうなったら、ああなる。ああなったら、こうなる。」
という体験の記憶から、
「ああなったら、こうなる。」方が、安心だと思っています。
それが、自分の望まない結果だとしても、体験していることは安心で、
体験したことがないことは、不安や恐怖になりますから、
やったことがない、聞いた事もないことは、無意識に拒否します。
宇宙の采配に任せることができるのは、
『現実の世界』と『意識の世界』には、法則が存在していると、実際に体験し、心底信頼していないと、とても難しいことです。
宇宙の法則は、絶対の信頼です。
どんなに抗ったところで、必ず、法則通りになってしまうからです。
じゃあ、ゼロ点に意識をもっていくにはどうすればいいのか。
難しいことではありません。
深呼吸すればいいんです。
「ゼロに戻る」と、自分に言えばいいだけです。
そんなことで、ゼロの位置に意識が戻るのか?と思うかもしれません。
わたしの体験上、戻れます。
問題なのは、
想いや感情が優位になっている自分に、気づくことができるかどうかです。
悔しいと思った時、
腹が立った時、
怒りで我を忘れているような時、
この状態の自分に、気づくことができるのは、相当時間が経ってからです。
瞬間湯沸かし器のようになった、
この自分に気づくことができれば、
ゼロの位置に戻る『理』を、心底腑に落としていれば、
深呼吸をしなくても、
「ゼロに戻る」と、言わなくても戻れます。
毎瞬毎瞬の選択も、偏りがあれば、偏った方向へとタイムラインは創られていきます。
毎瞬毎瞬を、フラットに。
そこから選択をしていきます。
常に、ゼロからスタート。
繰り返しの世界に、さよならです。
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。