『自我の世界』を脱出するには、自我を構成しているモノを遣わなければいいわけですが、

 

そうなると、自我を構成しているモノが何かを知らなければなりません。

 

 

 

自我を遣っているのは、わたしですから、

 

わたしが、自我を発動させていることに、気づかなければいけません。

 

 

 

 

わたしが、「自我を発動させているな」とわかるタイミングの一つに、

 

「誤魔化す」

 

があります。

 

 

 

何を誤魔化しているかという、中身はどうでもいいんです。

 

自分の頭の中で、

 

もしくは、誰かに話しを聞いてもらっている時、

 

わたしを悩ませている相手の言葉や行動について、

 

いつまでも同じようなことを、繰り返し喋っていて、

 

聞いている側は、

 

「で、いったい何に悩んでいるの?」

 

と、言われてしまうような、焦点の定まらない、何を言いたいのかわからないような話しを、自分がしているとき、自我が発動しています。

 

 

 

大抵こういう時は、

 

その悩ませてくれている相手に対して、

 

本当は、わたしが◯◯してあげた方がいいと思いながらも、

 

「めんどうなことには関わりたくない。」とか、

 

「何度も、同じことを聞かされたくない。」とか、

 

「思い通りになってくれないからイヤだ。」とか・・・

 

 

本当のわたしの想いから、逃げている時に、

 

気が付かないふりをして、誤魔化します。

 

 

 

 

この誤魔化すというのは、第三者に対してでなく、わたし自身に対してです。

 

 

わたし自身の本当の想いから逃げている時に、自我は、誤魔化すという手法を遣います。

 

 

 

 

頭の中で、何度も同じことを繰り返し喋り続けていたり、

 

Aさんに話したことを、Bさんにも話し、Cさんにも話している自分に気づいた時、

 

必ずそこには、本当のわたしを誤魔化し、そこから逃げようとしています。

 

 

 

自我の特徴で、言い訳をしています。

 

 

 

でも、「あぁ、わたしは何度も同じことを話しているから、自我が発動してるんだ。」で終わってしまったとしたら、何も変わりません。

 

何を誤魔化そうとしているのかを、みつけるタイミングです。

 

言い換えれば、本当のわたしの想いを、みつけるタイミングでもあります。

 

 

 

 

頭(思考)の中が、ペチャクチャやかましく喋っているのは、本当のわたしではありません。

 

本当のわたしをみつけだすことができなければ、自我の世界からの脱出は不可能です。

 

 

 

 

言い訳を言いまくっているのは、自我が発動しています。

 

自我の言い訳を、聞けば聞くほど、自我の方向へ引っ張られてしまいます。

 

 

何を誤魔化しているのか、本当のわたしの想いに気づくことができれば、

 

自我の言い訳は、停止します。

 

 

そして、本当のわたしの想いに気づいたら、それを行動に移していきます。

 

 

思考だけでは、行動することができません。

 

「よし、やるぞ!」

 

という決定が、行動につながります。

 

行動して初めて、わたしが観ている世界が、ギシッと動きだします。

 

 

やるか、やらないか。

 

たった、それだけのことです。

 

 

 

 

 


上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。