自我の世界は、二元性の世界です。
わたし = 正しい = 肯定
あなた = 間違っている = 否定
必ず、この法則が成り立っています。
100人中、99人が、わたしの考えや価値観と全く同じであっても、
必ず、目の前に、わたしの真逆の人が現れます。
どんなに正しいと思う事であっても、
どんなに、それが間違っていると思う事であっても、
それが、どんなに当たり前であると思う事であっても、
霊性進化プロセスの課題において、そこに拘り続けていると、いつまでも同じ体験をし続けることになります。
宇宙の法則は、必ず、バランスをとるようになっています。
人間の体も、恒常性という働きがあり、必ずバランスをとろうとします。
もちろん、人間だけでなく、全ての生き物、物質も、法則も全てバランスが保たれているから、そこに存在できるのだと思います。
それは、観える世界だけでなく、意識の世界でも同じしくみがあり、必ずバランスをとろうとします。
体の中の水分が足らなくなると、水を飲みなさいと、喉が渇いたと感じるようになっています。
それと同じように、意識の世界のバランスが、陰陽どちらかに偏り始めると、感情というサインが現れます。
喉が渇いた → 水を飲みたい。のように、わかりやすければいいのですが、
辛い、苦しい、悲しいというような感情が現れても、それが
「意識の世界のバランスが偏り始めてますから、フラットに戻してくださいよ。」
などというサインだとは、気づきもしません。
ですから、感情に振り回されてしまいます。
自我の世界は、二元性の世界ですから、必ず、わたしと相反する人が目の前に現れます。
いわゆる、否定したい。拒否したい。という相手です。
わたし = 正しい と、わたしも思っていますが、相手もそう思っていますから、どちらかが我慢するか、折れない限り、争いは続きます。
納得いかなくても、人間関係を保つには、そうするしかないと思っています。
この世界は、鏡の世界ですから、
相手を責める = わたしを責める ことになります。
自分の周りの人を観察した時も、
相手を責めるタイプの人、
自分を責めるタイプの人がいるかもしれません。
そして自分自身も、相手を責めたり、自分を責めたりする時があるかもしれません。
相手を責める。
自分を責める。
どちらも全く同じことです。
相手を責めている時というのは、腹が立ちます。
自分を責める時も、自分に腹を立てたり、情けないと思ったりします。
両方とも、否定を遣っているので、全く同じことです。
人間意識的には、ストレスを感じている状態です。
人は、ストレスを感じると、副腎という臓器が一生懸命働いて、何とかストレスを収めようとします。
どの臓器も大切ですが、副腎は、わたしたちを元気にしてくれるホルモンや、やる気を起こしてくれるホルモンも出してくれています。
強いストレスを感じ続ければ続けるほど、副腎もへたれてしまいます。
へたれてしまった副腎からは、ホルモンを元気に出す力をなくし、しいては、わたしも動けなくなってしまいます。
相手を責めた時も、わたしを責めた時も、全く同じことが体で起こっています。
脳は、相手とかわたしとか、主語がわからないのです。
責めているのも、責められているのも、全てわたしだと判断します。
ですから、「あいつは、バカだ。」 と言っても、自分がバカだと言われていると判断します。
人間関係があるから、仕方のないことだ。と思っていましたが、
感情が、意識の世界の偏りを戻しなさいよと教えてくれているとわかってから、
「いったいわたしの何を観せてくれているのだろう。」
と、感情に溺れることなく、ストップするようになり、課題をみつけることができるようになって、謎解きができると、
怒りで興奮していたわたしが、ウソのように
鎮火していきました。
その体験をして、これは思考では無理だと思いました。
思考で、どんなに怒らないようにしようとしても、どんなに相手のことを良い方に考えようとしても、それは一時だけで、再び再燃していきました。
意識の世界には、意識レベルで向き合わないと、思考レベルでは何も変わらないことを体験していきました。
相手を責める。自分を責めるのは、気づきのサインです。
いつまでも責め続けていることは、自分の体にも影響を及ぼします。
『赦せる』とは、相手に対してではなく、鏡に映った自分自身のことです。
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。