悩みがある時、
ネガティブな感情が動いた時、
頭の中で、誰か特定の人のことを、考えてしまう時、
何かに対して、批判している時、
情動を感じた時、
課題投下のサインです。
「・・・で、課題投下って、何よ?」
「なんで、そんなもんがあるわけ?」
「そんなの、勝手にやりたい人が考えればいいんじゃないの?」
そう思います。
でも、一度でも、『気づき』の体験をして、課題と答えをみつけた瞬間を味わったことがあれば、
ついさっきまでいた世界と、今の世界が全く別の世界であるかのように観えれば、
おまけに、あんなに悩んでいたことが、見事に消滅していく体験を味わったことがあれば、
「課題は、解いていった方がいいみたいだ。」
と、思うようになります。
最初の頃は、想いや感情に流されて、課題だなんのって、とてもじゃないけど、そんな余裕はありませんでした。
でも、ふと、「このままずっと悩んでいるのか?」と、思った時、
「一旦、考えてみよう。」
そう思いました。
わたしの課題の見つけ方があるように、もしかすると個々によって見つけ方があるのかもしれませんが、お話しさせてください。
今のわたしと全く関係ない事の課題は、ありません。
悩んでいるのは、今のわたしなので、この悩みが課題投下です。
答をみつけることができれば、悩みは、自分が創っていたことに気づいていきます。
自我の世界にどっぷり浸かっている時は、頭の中がとてもやかましくて、何を考えればいいのかわかりません。
だからわたしは、書くことにしました。
自分が望んでいることが、叶えられない時は、執着している時で、何かを手に入れようと、そのことばかりを考え追いかけています。
宇宙の法則には、
追いかければ逃げて行く。逃げれば、追いかけられる。 という法則があります。
「追いかける」というのは、
欲しい欲しい欲しいと、手に入れたいと思っている。
やってやってやってと、相手に望んでいる。
こういう時、
欲しいモノは、手に入らないし、
相手は、わたしの望むようにやってくれない状態になります。
こういう時の観える結果は、必ず望まない方向、最悪の方向へ向かいます。
この方向へ向かっていくのを止めることができるのは、答えをみつけることです。
大抵は、自分の思い込み、自分が信じ込んでいること、偏った考え方をもっています。
ところが、自分がどんな思い込みをしているのかがわからない。
ここで、『鏡の法則』が登場します。
鏡の世界は、「わたし = あなた」 です。
「そんなこと、あるわけないやろ!」 と、全力で否定してもらってもいいのですが、否定している限り、『鏡の法則』を遣えることはできないので、課題は解けないことになります。
「わたし = あなた』 なのですから、
誰かが言っていた言葉、頭の中に何度も繰り返される言葉を、書いてみます。
誰かが言っていたとは、1人だけではなく、テレビから聞こえてきた言葉や、歌やドラマの一言、そして自分自身が思っている言葉も全て含みます。
とにかく、何度も頭の中で繰り返される言葉や場面を書いてみます。
「わたしのことを頑固だって言う、あなたこそが頑固でしょ!」
・・・そうか、わたしが頑固だったのか。なら、明日は、相手が何でそう思うのか聞いてみよう。
実際に、行動します。
そうすると、世界が変わってしまうんです。
あんなに言い合いしていたのに、相手も途端に、わたしの話しを聞いてくれるようになります。
自我は、わたしが正しいと思っていますから、わたしの我を通そうとします。
相手も同じです。
気づいたことは、必ず行動に移し、無意識にできるくらい、継続していきます。
自我の世界を脱出するには、自我の構造を遣わなければいいのですが、自我の構造を知らなければ遣ってしまいます。
自我の構造を知るには、『鏡の法則』を遣って、次元上昇をして、自我の世界がどんなふうにできあがっているのかを知る必要があります。
イメージで言えば、ビルの1階から2階へと段々上がっていき、観える世界が広がっていくような感じです。
自分の方が、先に謝ったり、我を引っ込めたりするのは、自分が負けたような気がするかもしれませんが、
この世の『理』を知って行けば、霊性進化プロセスは、勝ち負けを争っている世界ではないことがわかってきます。
そこに拘っているとすれば、自我の世界の中にいるということになります。
気づいたら、気づいただけで終わらず、行動に移していきます。
この世界は、行動に移さない限り、1㎜も動かない世界です。
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。