自我の世界にいると、外の世界を観て、直ぐに「わたしの想い」が発動します。

 

 

これは、「わたしの想い」が発動することが、悪いとか良いとかのお話しではなく、

 

「想いが発動するということは、わたしは自我の世界にいるんだな。」と、

 

自分の意識のいる位置を確認できる方法の一つです。

 

 

 

 

霊性進化プロセスの、第一段階として、自我の世界があり、

 

スピリットとして、誰もがここを通過していくようにセッティングされています。

 

 

 

イメージで言うと、

 

 

 

 

どんなルートを遣っても構わないけど、この山を越えない限り、次の山は観えてこない。みたいな感じです。

 

「どんなルートを遣っても」とは、わたしの観ている世界です。

 

 

わたしが、わたしの両親から生まれ、あの家で育ち、あの学校へ行き、看護師になり、結婚して・・・という背景設定の中で色々な体験をしてきたルートのことです。

 

わたしと同じような背景設定で生きてきた人はいるかもしれませんが、出会った人、体験は、わたしだけの世界です。

 

 

めちゃくちゃ険しい人生体験をしてきた人もいれば、難なく昇ってきた人もいるかもしれません。

 

このルートは、わたしが生まれる前に決定してきたんだろうと、思っています。

 

何故なら、全てが繋がっていたからです。

 

 

 

 

 

自我の世界では、「わたしの想い」が中心になっていました。

 

その想いにくっついた感情があり、

 

「自分を受け入れること。」と言われると、

 

「傷ついたわたしを受け入れる。」

 

「悲しいと思っているわたしを受け入れる。」というふうに、「わたしの想い」の域から脱出することができませんでした。

 

 

 

 

じゃあ、どうしてそこから脱出できたんだろうと、思い返してみると、

 

「頭で考えなかった。」

 

 

 

 

傷ついた時とか、悲しい時とか、感情が現れた時、胸に感じる感覚に意識を向けていました。

 

「胸がモヤモヤしてる。いったいこのモヤモヤはなんだろう。」と、このモヤモヤを言語に変える為に、頭(思考)を遣いました。

 

 

質問は、全て、自分自身に問いました。

 

質問した後は、いつ答えがくるのかとか考えずに、放置します。

 

そうすれば、わたしにわかるような方法で、ヒントがやってきます。

 

このヒントは、わたしの分相応でしか受け取ることができません。

 

 

直ぐにわかる時もあれば、3日から一週間とか、かかる時もあります。

 

大抵は、3回ほど同じような言葉を言われたり、同じような出来事が繰り返されることで、3回目くらいに、やっとこれがヒントかとわかる感じです。

 

2回目まではわからないけど、3回目にわかる。

 

で、その3回目でわかった時に思うんです。

 

「なんで、2回目でわからなかったんだろう。」って。

 

悔しい気持ちになりますが、3回目だからわかったんだと、腑に落ちるようになります。

 

 

 

「これがヒントなのか?」と、先にわかるようなことはなく、

 

気づいた時に、「これがヒントだったのか。これが課題だったのか。」 と、気づきと同時に、答えがわかります。

 

 

 

 

学校で学ぶ時に、頭を使って暗記したり、計算したりしてきましたから、そのクセがなかなか抜けませんが、

 

この体は、この世界で人間として生きて体験するためにあります。

 

胃や肝臓や腎臓が、生きるためにあるように、頭も、この世界で必要なことを覚えてくれたり、字や言葉で伝えることをさせてくれたりしています。

 

 

 

スピリチュアルの本に、脳の松果体に意識界にいるわたしが信号(周波数)を送っていて、その周波数を、胸に感じているというようなことが書かれていたように思います。

 

そうなのかどうか、わたしにはわかりませんが、胸に感じる感覚は、わかります。

 

 

 

実際、わたし達は、

 

気が重い。

 

胸がモヤモヤしている。

 

胸に違和感を感じる。

 

胸が、押しつぶされそうだ。とか、

 

自分の感じる感覚を伝える時に、胸を遣います。

 

苦しくて苦しくてしかたがない時、「胸が押しつぶれそうだ。」とは言いますが、「頭が押しつぶれそうだ。」とは言いません。

 

 

 

思考(頭)は、嫌いな人でも、「好きだよ。」って言えますし、やりたくなくても「やります。」って言えます。

 

でも、胸に感じる感覚だけは、誤魔化すことはできません。

 

 

 

わたしは、胸に感じる感覚が、「本当のわたし」だと思うようになっていきました。

 

胸に感じる感覚と、わたしが思っていること、やっていることが一致している時が、「本当のわたし」だと思っていますから、

 

不一致であるときは、ストップをして、一致するようにしていきます。

 

この時に、意識を『ゼロ』の位置にもっていきます。

 

 

 

 

 

「わたしの想い」が、中心になっているかどうかを観る方法があります。

 

誰かに何かを話したり、伝えたりする時、

 

「あれ、やっといてねぇ~」 と、

 

「わたしが思っていることは、わかるでしょ?」 と、主語や述語のない文章を遣います。

 

 

ちょうど、

 

 

おやじが、「俺の思っていることは、何も言わなくてもわかるのが当たり前だ!」みたいな感じです。

 

 

 

「あれやっといてねぇ~」 と頼んで、相手が、「わかりました。」って答えて、戻ってきたら全く違うことをやってくれていて、

 

「これ、やっといてって言ったよね~。わかりましたって言ったのに、何でやっていないわけ?」

 

となったりします。

 

 

 

「あれ、どうなった?あれよあれ。」

 

「あ~、あれね。」

 

こんな会話が成り立つのがすごいゲラゲラ

 

 

 

わたし自身職場で、いつの間にか、わたしがやっていることは全てわかってくれてると思い込んでいて、

 

「これさぁ~」と話しかけた時、相手が「??????」となった顔を見てからは、必ず、

 

「◯◯の件で、今、こうなってるんだけど・・・」と、どう言葉を並べたら相手がわかりやすいかに意識を向けて話すようになりました。

 

 

 

 

自我の世界は、霊性進化プロセスの通り道です。

 

自分が、どの位置にいるのかを知ることで、自我の世界を脱出できるのだと思います。

 

 

ちなみに、わたしはまだ、脱出できていません。

 

 

 

 

 

上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。