宝箱。

 

な~んて書くと、

 

 

 

 

「お金が手に入るのか?」って思ってしまうかな?

 

お金が、手に入るのもいいよねぇ~ゲラゲラ

 

 

 

でも、今日は、宝箱のお話し。

 

 

 

 

 

自我の世界は、

 

正しいか、間違っているか

 

0か100か

 

そんなふうに、両極端のふり幅で、物事を捉えてしまう世界です。

 

 

 

 

そんな世界にいながらも、奇跡が起きる時があります。

 

 

 

「みかんが食べたいなぁ」と思っていたら、隣の人が、みかんをくださったり、

 

「あの人、どうしてるかなぁ」と思っていたら、偶然会ったり。

 

 

 

 

わたしには、兄の子どもである、甥っ子と姪っ子がいます。

 

甥っ子の方は、奥さんと男の子が1人いて、姪っ子の方は、旦那さんがいます。

 

今年の9月に、甥っ子が、家族でディズニーランドに行って、開演前に並んでいて、ふと、

 

隣の列を見たら、妹によく似た人がいるなぁと思ったら、本当に妹夫婦だったんですって。

 

何の連絡もしていなくて、住んでいるのは、東京と三重で。

 

その日の、その時間の、その場所で。

 

 

 

「そんなことある?」

 

みたいな偶然ともいえる奇跡が起こると、とても興奮してしまいます。

 

 

 

 

自我の世界で、奇跡といえることは、

 

宇宙の法則からみれば、当たり前のことであったりします。

 

 

 

 

宇宙の法則には、

 

 

 

逃げると、追いかけてくるし、

 

 

 

追いかけると、逃げるという法則があります。

 

 

 

でも自我は、自分が持っていないと思うモノは欲しがる。という特徴があります。

 

欲しがりますから、追いかけます。

 

追いかけますから、逃げて行きます。

 

ですから、いつまでたっても、その追いかけっこは、終わらない。

 

 

 

 

 

自分がやりたいことがあって、

 

これが出来上がったら、きっと喜んでくれる、きっと役に立つ。

 

そう思って、一生懸命に取り組んだのに、思ったほどの反応がない。

 

「もっとこうしたらどうだろうか」

 

「ここがダメなんだろうか」と、

 

ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、

 

それでも、思ったほどの反応がない。

 

 

ここまでやったのに、もうこれ以上どうしていいかわからない。

 

「もう、止めてしまおうか。」

 

と、今まで、ピーンと張っていた糸が緩んだ時、自我世界でいう奇跡が起こり、

 

宇宙からすれば、そうなって、当たり前のことが起こります。

 

 

何故なら、わたしが追いかけなくなったから。

 

 

 

 

 

 

自分が、一番コンプレックスを感じていて、バレないように隠していて、

 

そのことに振れられると、

 

 

 

地雷を踏んだように、感情に振り回されるから、

 

それがわかっているから、そのコンプレックスを、隠そうとします。

 

 

だのに、

 

「ええい! もうどうでもいいや!」

 

と、コンプレックスを隠さず、表に出したら、

 

 

今まで、ピーンと張っていた糸が緩んで、自我世界でいう奇跡が起こり、

 

宇宙からすれば、そうなって、当たり前のことが起こります。

 

 

何故なら、わたしが逃げるのを止めたから。

 

 

 

 

 

霊性進化プロセスは、まるでこの世界でいうゲームの世界です。

 

 

困難にぶつかった時に、逃げずに向き合うと、

 

自分の執着を手放すと、

 

 

 

 

宝箱の蓋が開かれるようになっています。

 

 

 

自我が一番嫌う、

 

めんどくさいこと。

 

苦手なこと。

 

やりたくないこと。

 

 

この現実に出会った時、自我の言う通りにするのか、

 

それとも、そこを超えるのか。

 

 

ここに、自我の世界を超えるヒントが隠れていたんです。

 

 

 

 

それは、次から次へと、一生、宝箱を開け続けるような世界です。

 

 

 

 

上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

半年前に書いた原稿で、まだまだわからないことだらけのわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるように、成長し続けたいと思います。