宇宙の法則の中心には、『肯定』の流れがあるようです。
「あるようです。」としか言いようがないのは、わたしには、それを証明することができないからです。
ただ、『否定』を遣うと、「辛いなぁ」と思ったり、「苦しいなぁ」という感覚が現れ、
『肯定』を遣うと、抵抗感が全くなくなるので、
意識の世界には、『肯定』の流れがあり、
現実の世界でも、
「やらない。」を選択すれば、目に観えるモノにはならないので、
ここにも『肯定』の流れがあるのだろうな。と思うからです。
『肯定』というと、
「自己肯定感のことでしょ?」
と思うかもしれませんが、この『肯定』ではありません。
「褒めて、認めることでしょ?」
と思うかもしれませんが、この『肯定』でもありません。
「ポジティブに捉えることでしょ?」
と思うかもしれませんが、この『肯定』でもありません。
わたし達が観ている世界は、全てが結果です。
例えば、
先日行ったテストの結果が、今日返ってきたとします。
数学のテストが100点で、歴史のテストが50点だったとします。
数学のテストは、100点でしたから大満足です。
でも、歴史のテストは、50点でしたから、気持ちもダダ下がりです。
これは、結果ですから変えようがありません。
では、この差は、どこから生まれたのか?
数学は、もともと好きで、日々の授業も真剣に聞いていて、テスト勉強も一番最初にしていた。
ところが、歴史は嫌いで、日々の授業も、つまらないからノートをとっているだけ。
好きではないから、勉強をするのも「後で」を繰り返し、テスト前日に、それも眠くなる時間。
当然、集中力もなくなり、「歴史なんて、もういいや」 と、寝てしまった。
「好きではないから」と、目の前の現実から逃げる意識を遣った場合、
実のところ、自分自身の気持ちも本当は、いや~な気持ち、モヤモヤした気持ちだけど、
「やりたくない」という、自我特有の「逃げる」方向へ舵をとった時、『否定』の選択をしたことになります。
じゃあ、数学は、好きだし、やりたいからやっていたのだから『肯定』かというと、そうではなく、数学をやりながら、
「歴史をやらないといけないけど、まっいっか。後でやろう。」
と、向けた意識は、『否定』となり、『肯定』の流れに意識が乗っていない状態です。
結果、50点になるのは、当然だと言えます。
「じゃあ、嫌いな歴史だけど、勉強すれば『肯定』の流れに乗るのね。だから、歴史も100点取れるようになるのね。」
と、思いたいところですが、この意識も『否定』の方向へ舵をとっています。
勉強することと、意識を『肯定』に乗せることは、まったく別の世界です。
歴史が嫌いになった理由があるかもしれませんが、それは、自我が「やりたくない」言い訳をしているだけです。
意識を『ゼロ』の位置に置いて、何をすればいいかを、自分に問います。
閃いたことをやってみます。
歴史が好きな友人に、何故歴史が好きなのかを聞いてみたり、勉強の方法を聞いてみたり、苦手だと思っているところを、漫画など、入り込みやすい参考書を使って、勉強をしてみる。
それだけ勉強しても、100点は取れないかもしれません。
霊性進化プロセスは、100点を取ることに意味があるのではなく、
自分が、どんな意識を遣って、行動をしたか。です。
「逃げない」方向へ舵をとることで、どんな世界が観れるようになるのかを知ることでもあります。
「やりたいことをやる」ことが『肯定』ではなく、
意識が『肯定』の方向へ向いているかを、意識していきます。
学生の時に、この法則を知りたかったぁ~
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
半年前に書いた原稿で、まだまだわからないことだらけのわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう、成長していきたいと思っています。