この世界には、時間の存在があります。
イメージで言えば、
わたしの後ろに過去があり、今いる時点が現在。そして、わたしの前に未来がある。
今、現在のことより、過去や未来のことばかりを考えていました。
「あの時、こうしていれば・・・」
そんなふうに、自分が選択してきたことを後悔したり、
「あの時、もしあちらを選択していたら・・・」
そんなふうに、こちらを選択してよかったと安堵したり・・・
「あの時は、最悪だと思っていたけど、あのことがなければ、今のわたしはなかったな。」
そんなふうに、
あの時の自分(現在)からみれば、今の自分(未来)が、こんなふうになるなんて思いもしなかった。
と、過去と現在を比較して、今の自分の幸せ度を測ってみたりします。
そして、それが『自我の世界』でした。
今のわたしには、過去も未来も存在せず、『今、この瞬間』のみになりました。
あっ、過去のことを忘れたとか、そういうことではなく、
「今のわたしに成るためには、その体験が必要だった。」
未来に対しては、未知そのもので、
自分が、どんな『魂の羅針盤』を決定して生まれたのかを、観てみたいという想いでいます。
実際のところ、息子が発病(詳細は、下記に紹介してる本に書かれています。)してから、わたしの未来は、わたしが思っていたこととは、ことごとく別の未来になっています。
自我の世界にいたわたしは、
「わたしの未来は、こんなふうになっていて欲しい。」
そう思うことで、今を焦って生きていたように思います。
「こんなふうに」とは、おおまかに言えば、
「お金に不安がなく、健康でいたい。」
そんな未来です。
漠然としていますから、何をすればいいのかわからず、
結局、いつもと変わらない毎日を過ごす。
そんな状態でした。
「今を生きましょう。」
そんなフレーズを聞くこともありましたが、どうやったら、今を生きれるのかも、よくわかりませんでした。
そんなわたしが、今は、『今、この瞬間』に、意識をフォーカスするようになっていきました。
何故なら、『今、この瞬間』が、全てだからです。
自我の世界にいた時、『今、この瞬間』を全く捉えることができませんでした。
とにかく、時間に流される。
目の前にある人参を、いつまでも追いかけているような、そんなイメージです。
『今、この瞬間』を捉えることができるようになったのは、
『今、この瞬間』に感じた違和感を、絶対に無視しないようにしていったからだと思います。
起きている間中、色々考えたり、誰かと会ったり、報道や情報を目にしたり聞くことで、わたしの胸に違和感を感じます。
その違和感が何かを、徹底的に観ていきました。
最初のころは、違和感だらけでしたから、違和感があっても違和感と感じないほどでした。
だから、モヤモヤしたり、ムッとしても、スルーしていました。
それでも、モヤモヤに気が付いた時、一旦ストップして、
「このモヤモヤは何だ?」
と、胸に感じるモヤモヤを、思考を使って翻訳してもらっていました。
「これは、不安のモヤモヤだな。」
そうわかると、
「何の不安だ?」
と、自分に聴き返して、
「あぁ、これは来月のキャッシュカードの引き落としが、いくらかわからない不安だな。」
そうわかったら、請求金額を確認して、家計簿と照らし合わせて、その不安を解消していく。
そんなふうに、胸に感じる違和感を放置しないことを徹底していきました。
そんな、一見何でもないようなことですが、その訓練が、やがて『鏡の法則』を遣えるようになっていきました。
今、この瞬間に感じている不安は、必ず放出しています。
それは、宇宙の法則に基づいて、必ず還ってきます。
不安が還ってくるのがイヤだから、今、不安になるのは止めようとするのは無駄なことです。
そんな思考で簡単に止められるような法則ではないからです。
今、感じた不安というのは、既に還ってきた不安です。
ここで「ゼロ」に戻していきます。
わたしが放出してきた不安など、数えきれないほどです。
どこでどんな不安を放出してきたなど、わかるはずもありません。
でも、還ってきた不安は、今、受け止めることができます。
1000個の不安を放出してきたなら、1000個を「ゼロ」に戻せばいい。
『今、この瞬間』が、
わたしを『魂の羅針盤』の上に乗らせてくれています。
過去でも、未来でもない、現在でもない、
『今、この瞬間』が、全てです。