「人間、諦めも肝心」
何かを一生懸命していて、それでも上手くいかなかったとき、トントンと肩を叩かれながら、人生の先輩に言われそうな言葉。
何かに一生懸命になるというのには、3つの方向性があるように思います。
一つは、自分がやりたくて仕方がないようなことで、もっと上手くなりたいとか、もっと成長したいとかを思う、一生懸命。
二つ目は、やりたいとかやりたくないとかではなく、自分の目の前に現れた現実に対して、とにかく一生懸命に自分の力を最大限に出しきる一生懸命。
三つ目は、誰かを見返してやりたいとか、評価されたいと思う、執着による一生懸命。
どんなに一生懸命にやっていても、上手くいかないことなんて当たり前のように存在します。
頭に手をやって、髪をクシャクシャにしながら、
「これ以上、どうすればいいって言うんだぁ~!」 と、もう手も足も出ないほどやり切って、これ以上やれることがない。と思った時、
諦めると、上手くいきます。
「あ~、もう知らん!どうにでもなれ!」 そんなふうに思って、一旦その場から離れる。
「その場」というのは、場所そのものでもありますが、意識を別の方向へ向けるということです。
全く別のことをする。
特に、体を動かすことがお勧めですね。
バッティングセンターに行くとか、
銭湯に行くとか、
ボーリング、ゴルフ・・・
とにかく、頭を使わなくてもいいようなことをしてみます。
すると、全く別の方向からヒントを得る事ができて、
あんなに行き詰まっていて、
押しても引いても開かなかった扉が、
実は、引き戸だった。
みたいに、
今在るモノを少し角度を変えるだけでよかったのか。みたいなヒントがやってきて、次の扉が開く。
でも、執着の場合は、そうはならない。
どんなに気分転換しても、扉は開かない。
でも、一つだけ、扉が開く方法があります。
何に執着しているのかに気づくことができれば、
のれんに腕押し、ぬかに釘状態になり、
目の前にあった大きな壁は、消えてなくなります。
目の前の現実が、どうにもこうにも動かないときは、
「諦めが肝心」 = 執着を手放せって。ね。