スピリチュアルの本を読み始めた頃、
「思い通りの人生に成る。」
「願いは叶う。」
そんな言葉を読んで、
“マジか”
そう思いました。
何故なら、毎日疲れていましたし、
楽をして、お金を稼ぎたいと思っていましたから、
「そんな願いが叶うの?」
そう思いました。
それは、宇宙の法則を何も知らないわたしが、我欲だけで願っていたことでした。
欲があるのが悪いとか、良いとか、そんなお話しではなくて、
我欲は、宇宙の流れに乗れないんです。
だから、いつまでたっても、その欲が満たされることはなかったんです。
実のところ、自我優位だって、自我にどっぷり浸かっていたって、そんなことは構わないんです。
ただ、宇宙の法則には、乗ることができないから、
辛苦の中で、望んだことは叶わないし、思う通りにならない人生だと思いながら生き続けていくことになってしまいます。
自我優位の時の、わたしの思う通りは、
「お金があって、もっと楽に生きたい。」
そう思っていました。
人間関係で、色々あるけれど、色々あって当然だと思っていましたから、
それが人間社会だと思っていましたから、
人間関係で苦しまない生き方があるなどとは、1㎜も思っていませんでしたから、
だからせめて、「お金があって、楽をしたい。」
そう思っていたんだろうと思います。
「自分で自分の人生を創造する」ことは、
自我の言う、「思う通り」では、ありませんでした。
自我の「思う通り」は、
自己中心で、自分さえ良ければいいという位置にあります。
『自分の人生を自分で創造できる。』のは、
毎瞬毎瞬の意識の選択と行動にかかってきます。
思考で舵を取ると、循環が起こらなくなってしまいます。
自我の思う通りのように、
頭の中でイメージしたことが、そのまま現実の世界に、ボンッと現れるのではありません。
自我の世界での、現実世界の観え方は、目の前を特急が通り過ぎて行くようなイメージでした。
ですから、その特急に乗っていたAさんを見つけなさいと言われても、至難の業です。
おまけに、「自分の思う方向へ進路変更して構いませんよ。」と言われたとしても、
あまりの速さに、進路を変えることもできず、ただ見送るだけ。
でも、自我の世界を脱出する頃には、観える現実世界が、
手押し車か! というくらい、ゆっくりと観る事ができます。
いつでも、舵を変えることができるようになります。
でも、わたしにできるのは、『肯定』の方向へ意識を向け行動していくことだけですから、その後、どんな世界が観えてくるのかは、わかりません。
わたしがまだ至らないことがあったり、
『否定』の方向へ舵をとっていれば、必ず『魂の羅針盤』の位置に戻るように、愛図がありますから、修正して調えていくだけです。
現実世界に流されていくのではなく、
自分で地に足を付けて、人生を歩むことが、「思う通りの人生」になっていきます。