初めて自転車に乗った時、
こけることを怖がったり、バランスが取れなかったり、ハンドルがあちこちを向き、上手く乗れなかったのに、乗ることを繰り返していくうちに、いつの間にやら両手を放しても乗れるようになりました。
自動車の運転免許を取りに行った時、
運転席に乗ることを怖がっていたら、「いつ乗っても、初めては、初めてや。」そう教官に言われて乗ってみて、
ブレーキ踏んで、エンジンかけるだけなのに、他にももっとすることがあるように思えて、
教習所の中で満足していたら、仮免許があって、道路で運転して、
ノロノロと走って、右折やら左折やら、車線変更なんか、させてくれるなと願いながら乗っていたのに、
いつの間にか、考え事をしながら、音楽を聞きながら、誰かと話しをしながら運転できるようになりました。
55歳の時にテニススクールに入ってテニスを始めた時、
飛んでくるボールを、ラケットにうまく当てることができず、ボールがあちこちに飛び散って、
「あぁ、こんなに迷惑かけるのに、続けてていいかなぁ」
な~んて、可愛らしいフリをしていたのに、
あれから6年が経って、
今では、わたしが休むと、何かあったのかと思われるくらい常連になりました。
こんなふうに現実世界では、
継続しなければ習得できないという、当たり前すぎる法則があります。
でも、自我は言います。
「直ぐに、上手くなりたいんですけど。」
「何かあったときだけ、やればいいんですか?」
「時々では、ダメなんですか?」
「今回で2回目ですけど、わたしって才能ないですよね。」
プロの野球選手に、1日にしてなることはできず、練習に練習を重ねてきているだろうことを知っているのに、
オリンピックで金メダルを取る人も、
料理教室を開く人も、
レストランのシェフも、
そして、わたしも、
家事も、仕事も何もかも、繰り返すことで習得してきているのに、
意識の世界だけは、直ぐに結果が出ると思ってしまいます。
今日の気づきを、紙に書けば、わたしは変わりますか?
いつまで続ければ、結果がでますか?
やろうと思うのですが、やれないのですが、どうやったらできるようになりますか?
どうやったら、そうなりますか?
まだ、何もやっていないのに、
こんな質問が、頭の中をグルブル回っています。
意識の世界のことは、
りんごの味を、伝えようとしても伝えることができないように、
結局は、
「このりんご、食べてみて。そうしたら、どんな味がするかわかるから。」
と、実際に食べてみて、初めてわかることばかりです。
りんごの味だって、
わたしは、甘いなと思っても、誰かは、酸っぱいと思うように、
自分にしかわからないことだらけです。
自我は、常に、安全でいたい。保証が欲しい。
そうでないなら、やりたくない。
そう思っています。
自我から観れば、
「めんどくさいことやって、何が楽しいんだろう。」
そんなことの繰り返しです。
それでも繰り返すのは、
こんなに世界が変わるなら、もっと次元上昇した世界は、いったいどんな世界なんだろうと、思わずにはいられないからです。
やり切るまで繰り返す。
呼吸をするように、それが当たり前になるように。