自我は、継続することが苦手です。
めんどくさいことは、やらない。
直ぐに結果がでないのなら、続けたくない。
これを続けて、100%望む結果になるのなら、何とか続けてやってもいいけど、そうでないならやらない。
わたしにわかるようにしてくれたら、やってやってもいいけど、難しいことは嫌い。
そして、遠慮なく言います。
「わたしは、◯◯になりたいの。」
例えで言えば、
料理が上手くなりたいからと、料理本を買ってきて読みながら、
「お母さん、ごはんまだ?」
と言ってるような状態。
野球選手の大谷選手のように、野球が上手くなりたいと、
野球の本を読んだり、大谷選手がホームランを打った場面を、何度も何度も観て、素振りの練習をするけれど、
部活に参加するのは、週1回。
わたし達は、脳を持っているお陰で、望む自分を一瞬のうちにイメージすることができます。
料理が上手くなって、ホームパーティを開いて、たくさんの友達を呼んで、わたしの料理を、美味しいと感激しているイメージ。
ホームランをガンガン打って、ドラフト1位で球団に入って、何億も稼ぐ自分のイメージ。
この現実世界は、そのイメージに達成したいなら、行動しなければならないしくみになっています。
おまけに、継続しないと達成できないしくみがあります。
この継続させてくれるのが、
「好きで、好きで仕方がない。」
「やりたくて、やりたくて仕方がない。」
そんな想いです。
(大っ嫌いでも、生活の為に続けられる仕事もありますが、今回はこのお話しではありません。)
好きでやってる場合や、やりたくてやってる場合は、創意工夫をします。
ああでもない、こうでもない。
「あれ?こうするとこうなるけど、それをすると、こうなるのか・・・」
霊性進化プロセスも、全く同じだと思います。
「肯定の選択がわからない。」
そう思ったら、
「こういうことが、肯定の選択なのかなぁ」 と、実際に検証してみる。
還ってきた結果は、後悔だった。
「じゃあ、今度は、こうやってみたらどうなるだろう。」と、また検証してみる。
それはまるで、
何度も何度も料理を作りなおして、自分のイメージする味、食感、臭い等々が、ピッタリと合うまで、その料理が美味しいというレストランへでかけて食べてみたり、お店の人と仲良くなって、隠し味を聞いてみたり、
それをまた家で作ってみたりを繰り返すことで、
材料の切り方の工夫や、味付けの順番、温めるタイミング、火から鍋を降ろすタイミングを、教科書にも、ネットにも書かれることのない、観る事ができない自分の持つ『感覚』を遣う。
それは、継続によって生まれます。
ただ単に、「食べられたらいいだろう。」と、放った意識とエネルギーは、
「はい、食べられます。」程度の料理として、目に観える世界に現れます。
でも、創意工夫をし、食べる人の想いを考えながら放った意識とエネルギーは、
「めちゃくちゃ美味しいやん!また食べたい!」 と言われる料理として、目に観える世界に現れます。
宇宙の法則は、絶対に裏切らない。
継続しながら、『理』をみつけ、コツを掴んで、実際に何度もやってみる。
継続して、上手くいって、途中停滞する時があります。
停滞は、必ず次の新しい扉が開く前触れです。
そこにどっぷり居座ってしまうと、それで終了となります。
霊性進化プロセスを、振り返ってみると、
上手くいかない → 試行錯誤 → ヒントがくる → 実行 → 「そういうことか!」と気づく
→ 上手くいく → 継続 → 停滞 → 試行錯誤 → ヒントがくる →・・・・
を繰り返していました。
一つ一つ、基礎をしっかり身に着けてきたように思います。
基礎をみにつけてきたことで、応用ができるようになりました。
まだ、わたしが知らないしくみがあるはずです。
何故なら、今までも、
「もう、これで全部知っただろう。」
そう思っていたのに、やっぱり新しくしくみを知ることになりました。
何度も、何度も、繰り返しました。
ですから、まだわたしの知らないしくみがきっとある。
それを知ることができる分相応にわたしが達することができたとき、
それを知ることができます。
今のわたしにできることは、
今まで学んだことを、繰り返すのみです。
『継続は、力なり。」