『今、ここ』に意識があると、とても安定しています。

 

 

意識は、わたしの本体で、この意識を、どちらに向けるかで、

 

わたしの人生は、いくらでも変えることができます。

 

 

 

 

自我優位の時は、『今、ここ』に、わたしの意識を

 

 

 

座らせておくことなどできませんでした。

 

 

 

過去の後悔や、過去の納得していない出来事を思い出したり、

 

未来の不安や、未来の自分が、どんな自分になっているのか考えたり、

 

今日あった出来事や、昨日観たドラマや、

 

あの人が言っていた言葉や態度を思い返して、幻想物語を創ったりと、

 

『今、ここ』どころか、

 

いつも、キョロキョロしていました。

 

 

 

 

自我を、手放し続けて、頭の中が段々静かになっていったことで、わかったことがありました。

 

自我の世界にいたことで、後悔や不安が生まれていたんだと。

 

言い換えれば、後悔や不安が生まれた時は、自我の世界の中にいる。

 

 

 

 

自我の世界というのは、意識の世界のことです。

 

同じ現実を観ているのに、全く別の位置から、現実を観ることができるようになります。

 

 

 

 

別の位置というのは、

 

想いや感情で観ていた現実世界を、

 

「問い」

 

「学び」

 

「成長」

 

として観る事ができるようになります。

 

現実世界を遣わせてもらって、学ばせてもらってます。

 

それは、決して綺麗ごとではなく、

 

観たくなかったわたしを観たり、

 

そんなことも気づかずに、わたしが大将のように、振る舞っていたことに気づいたり、

 

とてもとても狭い中で、わたしは正しいと思い込んでいたり、

 

相手のことを考えています風にして、実は自分自身を守るために、自分自身を認められたいが為に、言葉や行動をとっていたことに気づいていきます。

 

 

 

 

自我優位の時は、とてもじゃないけど、『今、ここ』に意識を向けることなんて、できませんでした。

 

 

 

『今、ここ』に意識を向けていることができると、体も心も、全てが安定します。

 

ちょうど、

 

 

 

大仏さんが座っているように、ドシンと、落ち着いた状態です。

 

 

 

『今、ここ』に意識があると、

 

自分が今、何を考えているのかが、とてもわかるようになります。

 

否定の選択行動をしようとしているか、

 

肯定の選択行動をしようとしているのか。

 

 

 

誤魔化そうとしているか、

 

魂の羅針盤の指す方向に意識を向けてるか。

 

 

 

 

それでも、自我は強烈な磁力を持っていて、

 

自我の世界へ、隙あらば、わたしを引っ張り込もうとします。

 

 

 

以前は、引っ張られていることに気づくまでに、相当時間がかかったのですが、

 

今は、直ぐにわかるようになりました。

 

 

 

上手く説明できませんが、意識の居心地が悪くなる感じ。

 

ピッタリ、はまっていない感じ。

 

調っていない感じ。

 

 

ん~、そうそう、

 

靴を、右左履き間違えたことがわかる感覚と、似ています。

 

 

 

 

そんな感覚になったときは、『今、ここ』にいないんだなぁというのがわかるので、

 

何とか、戻そうとします。

 

方法としては、

 

考えるのを止めて、目の前のことに意識を向けます。

 

気が付くと、頭の中がやかましくなっていて、とてもうるさい。

 

思考優位になると、『今、ここ』にいられなくなります。

 

 

 

『今、ここ』に意識を向けていて、何が得なんだ? と、言われたら、

 

損得は関係がないのですが、

 

とにかく安定しているので、最善を尽くすことができます。

 

 

 

最善を尽くすと、後悔が消滅してしまいます。

 

 

最善とは、宇宙の法則を知った上で、選択行動をするので、調和とバランスの方向へ、タイムラインが敷かれていきます。

 

 

想いや感情に流されない選択行動ができます。

 

 

 

 

最善の選択をし続ければ、向かうのは最善の方向です。

 

無理やり舵を取らなくても、成るように成る。