感情は、本当に、やっかいです。

 

嬉しい、楽しい、ワクワク、ほんわか、まったり・・・

 

そんな感情を味わう時は、その気持ち一点になり、誰かのせいという想いもなくなり、心も体も穏やかにいられます。

 

 

 

 

ところが、ひとたび、辛い、痛い、苦しい、憎い、怒り等々を感じると、途端に意識は外側に向きだし、外に観える世界を、変えてやりたいと思います。

 

 

感情は、人間なのだから、あって当たり前で、

 

悲しいことがあれば、悲しいと思うし、腹がたつことがあれば、怒りたいと思うのが当たり前で、

 

感情とは、それ以上でも以下でもないモノだと思っていました。

 

 

 

 

 

ネガティブな感情がなければ、いつも幸せでいられるのに。

 

ネガティブな感情を味わいたくないから、幸せでいたいと思うのに、

 

そうはならない。

 

 

 

 

 

感情は、まるで調味料のようで、適量なら、本当に美味しい料理になるのに、度を越して入れてしまうと、まったく食べられなくなります。

 

塩や醤油も、絶対になくてはならない調味料なのに、そのまま食べたり飲んだりすると、死んでしまうことさえあります。

 

 

 

 

感情は、課題投下のサインだとわかってから、感情に振り回されることが一切なくなりました。

 

ネガティブな感情が、胸に「ドンッ」ときた瞬間に、

 

「あぁ、課題だな。答えをみつけよう。」

 

となりますから、感情に溺れることはありません。

 

 

 

 

課題とは何か。

 

どんな答を探すのか。

 

 

 

 

ひとつには、わたしの知らない、裏側にいるわたしを知ること。

 

ふたつめには、わたしが気づいていない、至らなさに気づくこと。

 

みっつめには、この宇宙の法則を知ること。

 

 

この三つの答えが合わさっていくことで、『自我の世界』の存在がわかるようになり、これら全てをひっくるめると、『霊性進化』と言えます。

 

 

『霊性進化』していくことで、もともと意識体だったスピリットに、肉体を持ちながら戻っていくプロセスを歩んでいきます。

 

 

 

 

 

人は、「イヤなこと」「めんどうなこと」からは、逃げようとします。

 

ですから、味わいたくない感情を味わうと、その感情を味わうことになった出来事から逃げようとします。

 

やらなければいけないことなのに、めんどうだと思うと、そこから逃げようとします。

 

好きなことだから、やりたいことだからとやっていたのに、誰からも評価されなくなると、諦めようとします。

 

 

 

この世界は、そんな逃げようとするところに向き合って、完全に克服してしまうと、次の新しい世界の扉が開くシステムになっています。

 

でも、そんなしくみがあるなんて思ってもいませんから、ネガティブな感情を感じると、向き合うどころか、誰かのせいにして、そこから逃げてしまいます。

 

 

 

 

自分が望むこと全ては、その扉の向こうにあります。