『鏡の法則』は、実に
実に、
としか言えないくらい、わたしの観えていない裏側のわたしを観せてくれます。
どんなに、
「そんなわたしが、いるわけない」
と言い張っても、最期には、
と、わたしが間違っていましたと、謝るしかありません。
ネガティブな感情が現れた時は、課題投下のサインです。
気づいていない裏側にいるわたしに気づける、最大のチャンスです。
「何故、裏側にいるわたしに気づく必要があるのか。」ですよね。
わたしが観ている外の世界は、誰もが同じように観ていると思っていました。
もちろん、その出来事は、同じです。
例えば、テレビやネットで、◯◯という男性俳優さんが、浮気をしていたという報道が流れたとします。
それが事実だとした時、
Aさんは、「奥さんが、可哀そう。」と、思いました。
でも、Bさんは、「奥さんが、鬼嫁だったんじゃないの?」と、思いました。
Cさんは、「浮気に誘うような女性なんて、ろくな人はいないのに。」と思い、
Dさんは、「浮気ができるなんて、そんな立場になりたいよ。」そう思いました。
人は、自分の体験したことや、自分の立場から、その物事を観て捉えます。
自分自身が子どもの頃、お父さんが浮気をしたことで、お父さんとお母さんが離婚をして、そのことで、自分がとても苦労をしたとしたら、その立ち位置で、目の前の出来事を捉えます。
もし、自分自身が、現在進行形で浮気をしていたとしたら、「バレないだろうか。」と、「もしバレたら・・・」と、その立ち位置で、目の前の出来事を捉えます。
それはまるで、分度器の1度が1人の捉える角度のように、
中心にある出来事を、それぞれが、それぞれの体験してきた記憶や、自分の置かれている立ち位置から物事を捉えます。
「浮気」ということに、縁もゆかりもない人は、
「へぇ~、そうなんだ。」
で、終わってしまうような角度から観る事になります。
この観る角度は、100人いれば100通りあります。
言い方を変えれば、
「わたしが観ている世界は、わたしだけしか観えていない世界」だとも言えます。
感情が動くということは、何らかの記憶があるということです。
梅干しと聞くだけで、梅干しを見るだけで、「すっぱい」と思ってしまうのは、梅干しを食べたことがあるからです。
ネガティブな感情が現れた時は、わたしの意識の世界に、
「偏りが生じてますよ。」
「修正して、本来の道の上に戻ってくださいよ。」
と教えてくれているタイミングです。
それは、高カルシウム血症、低ナトリウム血症、高脂血症、高血糖とか、平熱から高熱になったとか、血圧が低い、高いとなると、症状として現れて、辛くて、日常のなんでもない生活ができなくなって、寝ていることしかできない状態になる、体のしくみと同じで、
もとの状態に戻そうとするしくみである、恒常性を保とうとするしくみと、全く同じです。
感情に振り回されている状態というのは、何も手につかない、集中力もなくなっている状態です。
体が動くからといって、このまま放置していると、とんでもないことになってしまいます。
感情は、わたしを守る、とても大切なサインなのです。