学校を卒業して、働くことは当たり前。
結婚して、子どもが産まれるのは、当たり前。
妻が、家事も育児も担当するのが当たり前で、夫は仕事だけしているのが当たり前。
妻が、夫の両親の介護をするのは、当たり前。
子どもが、親の面倒をみるのは、当たり前。
そんな時代を、わたしは通過してきました。
学生の頃は、早く働いて、自分でお金を稼いで、一人で生活することに憧れました。
働きだして、働くことに慣れてくると、それが当たり前の生活になって、もっと給料が欲しいとか、もっと環境の整ったところで働きたいとか、そんなことを思って、職場を変えました。
職場を変えて、そこで生活することが当たり前になってきて、次は結婚して家庭を持つことに憧れました。
望み通り結婚をして、二人の生活に慣れてくると、今度は子どもが欲しいと思いました。
子どもは、どんどん成長しますし、一番思うようにならない体験をしました。
それでも、子どもも大きくなり独立していき、義父母も他界し、
段々と、自分のことを考える余裕や、時間が持てるようになりました。
働いたら・・・
結婚したら・・・
子どもができたら・・・
子どもが独立したら・・・
義父母や実父母の面倒をみなくてよくなったら・・・
そうやって、望みが叶ったのに、常に、今の現実より未来をみていたのは、
今の現実に、満足していなかったからだと思います。
自分より、豊かな生活をしている人を観ると、羨ましいと思いました。
わたしが観ている現実世界は、他の誰もが観ている世界と同じで、
わたしが思っていることは、みんなもそう思っていると思っていました。
現実は現実。
わたしは、わたし。
望むことがあるなら、自分で学び、自分で実行していくしかないと思いました。
わたしが持つ経歴で、何か資格が取れるモノはないだろうか。
もっと、違う職についたら、わたしはもっと満足するのだろうか。
でも、わたしは、いったい何をしたいんだろう。
後悔しない生き方って、どうしたらそう思えるのだろう。
わたしには、わたしの役割があるんじゃないのか。
このまま生きてていいんだろうか。
何の為に、生きてるんだろう。
宝くじを買って、高額当選したら、わたしは、何の不満もなく生きて行けるんだろうか。
毎日々疲れるまで仕事をしてるけど、生活するためには仕方がない。
人間関係で、色んなことが起こるけど、それは当たり前のことで仕方のないこと。
現実は、現実。
わたしは、わたし。
生きる為に仕事をして、
イヤなことがあっても、我慢という蓋で閉じ込めて、
自分の感情を、時間の経過とともに鎮火させていく。
そうやって、
世間を、うまく渡って、
収入と収支のやりくりをして、
少しでも老後の為に、お金を残して、不安を無くしていく。
ざっくり言えば、これが、わたしにとっての、現実の世界との関係性でした。