スピリチュアルの本を、読みあさっていた時、
本当に、そんな世界があるのかと思いました。
わたしも、そう成りたいと思いました。
自分が成りたいと思う自分に成れるなんて、
それこそ、わたしが歩みたい人生だと思いました。
88-88 というナンバープレートの車が、わたしの車の前、わたしの右斜め前の車、そのまた前の車と、3台一度に観た時、凄いことが起こるんじゃないかと思いました。
欲しいと思っていたミキサーの話しを知人にしたら、そのミキサーを持ってると言われ、使わないからあげるよと、頂いちゃいました。
そんなことが起こると、わたしの世界が、変わるんじゃないかと思いました。
ただそれは、偶然を待っている、奇跡を待っているような状態でした。
わたしの世界が変わっていったのは、本を読まなくなってからでした。
今思うと、本を読んでいた時、いつも正解を探していました。
ちょうど、探偵ものの本を読んでいれば、自分が謎を暴く探偵者になった気分になったり、
恋愛ものの本を読んでいれば、自分が主人公になったような気分になったり・・・
本を読まなくなったことで、質問は自分の内側にするようになりました。
わたしには、わたしの分相応があり、わたしにわかる範囲でしか答えのヒントを教えてはくれませんが、必ず叡智がやってきました。
その体験は、わたしはスピリットという意識体であることを教えてくれました。
もちろん、最初から信じたわけではありません。
わたしの幻想かと思いました。
でも、わたしが知らないことを教えてくれ、その後で読んだ本に、そのことが書かれていたりしました。
霊性進化プロセスは、わたしの内側の世界を信じきることでもあります。
それは、誰もがもっているもので、誰もが遣えるものですが、
あまりにも人間意識が強すぎて、
そんなこと、あるわけないと思ってしまいます。
わたしは、いつも思います。
長く、誰からも愛されるような歌は、きっと宇宙の叡智から得たものなんだろうと。
長く、いつまでも受け継がれるような技術は、きっと宇宙の叡智から得たものなんだろうと。
長く、いつまでも読まれるような本は、きっと宇宙の叡智から得たものなんだろうと。
何か、自分が決めて、やらなければならない時、誰かに相談したり、ネットで検索したりしてしまいがちですが、
そんな時ほど、自分の内側に聴いてみることをお勧めします。
わたしにピッタリの方法を教えてくれます。
ただ、わたし達は、自我を持っています。
わたしの常識、世間の常識、わたしの信じたこと、体験したことが、頭の中を埋め尽くしているので、宇宙の叡智からの声が聴こえません。
たまに遣うくらいでは、信じることもできません。
ある時は、こちらが質問もしていないのに、教えてくれることがあります。
わたしは、必ず教わったことを実行してきました。
教わったことを、現実で活かすというふうに。
現実世界で、よく体験することですが、わたし達は、何かを覚える時、継続して繰り返す必要があります。
例えば、
料理教室に行って、そこで御馳走を作って、
「わたしは料理が上手くなった。」と思っていても、家の食事は、今までと何ら変わりばえしなければ、家族は、「いったい何のために料理教室に行ってるんだ?」と思うように、
自分の内側の声を、わたしの自我の声と聴き分けることができるようになるには、何度も何度も、繰り返して、技を、コツを掴んでいく必要があります。
最初は、失敗することを恐れて、自分の内側の声を、「まさかね」と、聴こえなかったふりをしたりしました。
でも、やってみたらどうなるんだろうと、実行していくことに決めて行動していきました。
わたしの意識の世界の閃きを、この目に観える現実世界を遣って実際に体験してみる。
わたし達はいつも、意識で決定したことを、この肉体を遣って再生しています。
「トイレに行こう」と、意識で決定したことを、実際にこの肉体を遣って再生しています。
意識で決定したことを、実際にこの肉体を遣って、現実という世界で再生しないかぎり、何も起こらない世界です。
「あぁ~、どうしたらいいんだ!」
と、思考で答えを探すより、
「ねえ、どうしたらいいか、教えてよ。」
そう、自分に問うと、わたしにピッタリの答えを教えてくれます。
わたしは、それが面白くてしかたがないので、いつもいつも、自分自信に質問します。
「ねぇ、どうしたらいい?」
わたしは、誰よりもわたしと、コミュニケーションをとっています。
本を読みあさっていた時は、本に頼りきって、自分の内側に聴こうとしていませんでした。
その結果、現実世界は、何も変わりませんでした。
もし、全ての人が、自我を手放したら、みんな同じ肉体をもったスピリットになり、二元性の世界は消滅してしまうんだろうなと思います。
その世界を、体験したいですね。