わたしの未来は、いったいどうなっているのだろうか。
以前のわたしは、よくそんなことを思っていましたが、
今のわたしは、『今』を生きることを楽しんでいます。
わたしが観る外の世界と、わたしの意識の世界は、全く関係がないと思ってたころは、毎日が流れるように過ぎていきました。
いつも時間に追われている感じで、「あれもしなきゃ。」「これもしなきゃ。」
そう思っているのに、忙しいからと、なかなか「あれ」も「これ」もできずにいました。
今思うと、忙しいのは、頭の中であって、現実世界のわたしは、いくらでも行動に移せたのだと思います。
自我を手放していくと、頭の中が、とても静かになります。
時間が、ゆっくり流れる感じで、目の前の出来事を、スローモーションのように捉えることができるようになります。
自我優位の時は、頭の中が常にやかましく、今考えていたことが、もう別のことに移り変わるように、もの凄い勢いで、とりとめもない言葉が、頭の中を支配していました。
感情や想い、自我の幻想物語に自我の言い訳等々、それはそれは、うるさい世界でした。
感情は、課題投下のサインだとわかっていますから、感情が現れたら課題を解いていこうとするので、いつまでも感情に振り回されることはありません。
課題を解いてしまえば、重い周波数の感情は、軽くなってどこかへ行ってしまいます。
自我の幻想物語が始まったら、認めることで終止符がうたれます。
だから、頭の中で何も考える必要はなくなってしまいます。
そうなると、集中力が増してきますので、仕事も家事も、とてもはかどります。
頭を使っていないので、しんどいとも思わない状態です。
こういう状態になると、目の前に現れた現実を、丁寧に観ることができるようになります。
毎瞬毎瞬の選択を、『肯定』の方向へと舵を取れるようになります。
舵を取るというのは、頭の中で、「こうしよう」と選択するというよりは、
選択=行動 になっていますから、決めてから行動に移すのではなく、決めたと同時に行動をしている状態です。
選択は、常に頭の中ではなく、胸に感じる感覚を遣います。
モヤモヤしている状態で、選択はしません。
完全に、感じる感覚と意識が一致した方向へ、行動を開始します。
目の前の現実を観て、どちらにしようか迷う時があります。
迷うのは、どちらを選択すれば、より心地よい世界に行けるのか、より幸せに成れるのか、損はしないかを、頭(思考)を使って選択しようとしているからです。
頭(思考)での選択は、わたしの体験してきた情報、持っている知識から選択してしまいます。
より心地よい世界へ、
より幸せに成れる世界へ
損をしない世界へ
未来に何が起こるのかなど、わかるはずがないのに、
今のこの選択で、わたしの未来が全て決定してしまうような気分でいます。
選択することに迷っているのは、言い換えれば、どちらを選択しても同じだということです。
AかBか。
大切なのは、Aを選んだことか、Bを選んだことかではなく、
選ぶ時のわたしです。
不安があってAを選んだとしたら、Aのタイムラインは不安へと向かっています。
不安があってBを選んだとしたら、Bのタイムラインは不安へと向かっています。
どちらを選んでも、不安のタイムラインを歩いていくことになります。
『肯定』の選択行動は、『今、この瞬間』に意識を向けています。
行動を開始したら、やりきります。
わたしが出せる、最大レベルを発揮します。
「まっ、これくらいでいいか。」
「めんどくさいから、このくらいにしておこう。」
などという中途半端は、一切遣いません。
その時点で、『魂の羅針盤』から、ズレてしまうからです。
「そんなの大変じゃないの?」
そう思うかもしれませんが、今のわたしには、中途半端にすることの方が大変です。
「どうやって、今のあなたになったのですか?」
そう質問されたら答えに困りますが、
結局のところ、
「その時、その時を選んできた結果、今のわたしになっていました。」
ということですから、
『今、この瞬間』の選択が、未来のわたしを創っていくということになりますね。