20歳の時、30歳の時、40歳の時、50歳の時、
いつも、今の自分が延々に続くように思っていました。
朝起きて、仕事をして、家に帰って寝る。
次の日も、同じことを繰り返し、
休日は、家のことをしたり、ショッピングに出かけたり、たまには旅行等々に行く。
わたしの未来は、いったいどうなってるんだろう。
20歳の時も、30歳の時も、それからも、ずっと同じように考えていました。
きっといつか、明るい未来がやってくる。
そう望むのは、その時のわたしが、わたしの生き方に満足していなかったからです。
もしかしたらわたしは、1時間後に事故にあって死ぬかもしれない。
もしかしたらわたしは、1週間後に病気で死ぬかもしれない。
わたしが明日も生きているとは、誰にも保障してもらえない。
だのに、わたしは、今のわたしで延々と生き続けるような錯覚をしていました。
いつ死んでも、後悔しないような生き方って、どうすればそう思えるのだろうか。
やりたいことがあっても、将来のために無駄にお金を使えないし。
でも、そうやっていれば、年老いた時に後悔するし・・・
いつも、『今』と『未来』の駆け引きをしている状態で、
それはまるで、
メビウスの輪の中に入り込んだような問いでした。
わたしが観る『現実の世界』と、わたしの『意識の世界』が連動していることがわかって、
何度も何度も検証したことで、そこには法則が存在していることがわかりました。
その結果わかったことは、
『今、この瞬間』が、わたしの人生そのものであることを知りました。
『今、この瞬間』を、後悔(否定)という方向へ舵を取ると、そのタイムラインは、後悔(否定)へと進んでいきます。
『今、この瞬間』を、肯定(後悔がない)の方向へ舵を取ると、そのタイムラインは、肯定(後悔がない)へと進んでいきます。
未来の為とか、過去の後悔からとか、過去や未来に意識を向けていると、
『今』に生きることができません。
『今、この瞬間』を、どの方向へ舵を向けるかを認識するには、
今、自分が何を考え、どんな行動に出ようとしているか、が明確にわかっていないとわかりません。
自我意識優先の世界にいたときは、思考が、流し素麺のごとく、とにかく流れていましたから、掴みようがありませんでした。
感情が、自我を見つけることができるサインだとわかってから、感情が現れたら、自分と向き合うことを延々に続けていきました。
その結果、頭の中は、とても静かになりました。
静かになったことで、あのうるさかった思考は、自我の言い訳、自我の幻想物語、拾い集めた情報だということがわかっていきました。
頭の中が静かになったことで、
目の前の現実を観て、わたしがどう思ったのかが明確にわかるようになりました。
そのお陰で、毎瞬毎瞬、わたしの望む方行へ意識の舵を取り、行動ができるようになっていきました。
それは、特別な時だけでなく、わたしの日常全てに対してです。
幸せな人生でありたいと思うなら、
『今、この瞬間』を、幸せの方向へと舵を取る。
後悔のない人生でありたいと思うなら、
『今、この瞬間』を、肯定の方向へと舵を取る。
穏やかな人生でありたいと思うなら、
『今、この瞬間』を、穏やかな方向へと舵を取る。
『今、この瞬間』放出した意識とエネルギーは、必ず還ってくるという法則が存在しています。
1年前のわたしと、今のわたしが、同じような悩みを持ち続けているなら、
1年後のわたしも、今のわたしと同じ悩みを持っているはずです。
未来を創っているのは、『今、この瞬間』のわたし。
それがわかってから、わたしは、めちゃくちゃ意識を自分に向けるようになりました。
『今、この瞬間』の積み重ねが、未来です。
未来は、『今、この瞬間』のタイムラインです。