小さい頃は、何をするにも、大人の許可がいりました。

 

あれも欲しいし、これも欲しい。

 

これも食べたいし、あそこへも行きたい。

 

 

 

自由に使えるお金なんて、微々たるもので、何処に行くにしても一人では行けません。

 

だから、自分の望みを叶えてもらうには、

 

思いっきり、ダダをこねるか、諦めるか。

 

そんな駆け引きがありました。

 

 

 

 

大人になると、働いてお金を稼ぐことができますし、何処かへ行こうと思えば、旅行会社に行くとか、ネットで調べれば何とか行くことができるようになります。

 

 

そういった、自分が望むことや、自分が好きなことに対しては、何の躊躇もせずに行動に移すことができるのに、

 

自分が「めんどくさい」と思う事に対しては、「やってくれない」「してくれない」と、

 

大人に依存していた小さい頃のように、誰かにやってもらおうと思ってしまいます。

 

 

 

 

自我は、わたしの望みさえ叶えればいいと思っていますから、相手の想いなど気にとめようともしません。

 

 

この世界は、『鏡の世界』です。

 

 

「やってくれない」と、追いかければ、「やってやらない」と逃げていきます。

 

「してくれない」と、追いかければ、「しない」と逃げていきます。

 

 

 

自分の思うようにならない世界が、どんどん深くなっていきます。

 

思うようにならないのですから、辛いし、苦しいと思う世界になります。

 

 

 

 

裏側にいる、もう一人のわたしに気づかない限り、このループから出られません。

 

 

「やって欲しい」「して欲しい」のは、自分が「やらない」と逃げているからです。

 

 

 

「やって欲しい」ことを、「して欲しい」ことを、自分がやればいいだけのことです。

 

自我は、損得を考えるので、

 

「わたしから」すると、損をする。わたしより先に、あっちからでしょ。と言いたがります。

 

 

「わたし」の人生なのにね。