「逃げれば、追いかけて来る」
「追いかければ、逃げて行く。」
という法則が、この世界にはあります。
人が逃げる時というのは、
わたしにとって不快なことを、何度も繰り返される時です。
話しをしたくないと思っている人に限って、必要に話しかけて来る。
わたしは、それが嫌いだと言っているのに、何度もそれを観せてくる。
やりたくないと言っているのに、やらせてくる。
そんな時、わたしは、その人から逃げようとします。
でも、逃げても逃げても、追いかけて来る。
追いかけて来るのは、その人のせいであり、その人が悪いのであり、わたしのせいではない。
だからどうか、あの人を、わたしの前に現れないようにしてください。
そう思うのは当然なのですが、
その人から逃げることができたとしても、またしばらくすると、同じように追われるようになります。
これは、人だけのことではなく、仕事であったり、勉強であったり、とにかく、
わたしが逃げたいと思う現実は、必ず追いかけてきます。
じゃあ、どうすればいいのか。
方法は、たった一つ。
「向き合うこと」です。
そういうと、追いかけて来る誰かさんと向き合うと思ってしまいますが、
そうではなく、
わたし自身と向き合います。
現実は、わたしの意識が映し出された世界です。
現実の世界にいる、追いかけて来る誰かさんと向き合っても、おそらく解決しません。
わたし自身が、向き合わなければいけない何かから逃げているから、現実の世界に、その世界が投影されてしまいます。
その何かに気づくことができれば、現実の世界で、どんな行動を取ればいいかは、宇宙の叡智が教えてくれます。
わたしが、何かに執着している時、その望むモノは、逃げていきます。
何をやっても上手くいかない。
望むことが、ことごとく叶わない。
そういう出来事が、あそこでも、ここでもおきます。
そんな時、その原因を探ってしまいますし、あちらのことと、こちらのことは別問題だと思ってしまいますが、
答えは、一つです。
観える世界は、結果です。
逃げていくモノは、色々あるかもしれません。
でも、根っこにあるモノは、同じです。
枯渇しているから、得ようとします。
優しくして欲しいと、追いかければ追いかけるほど、優しくしてもらえません。
何故なら、わたしが、優しくしていないからです。
わたしの望みを叶えて欲しいと、追いかければ追いかけるほど、望みは叶いません。
何故なら、わたしが、誰かの望みを叶えようとしていないからです。
逃げるのを止め、追いかけるのを止め、一旦立ち止まって、
外に観える世界ではなく、わたし自身を観る。
逃げていたわたしに気づくと、追いかけられなくなります。
追いかけていたわたしに気づくと、得られます。
鏡に映るわたしを変えるには、
こちら側のわたしを変えていきます。
こちら側のわたしとは、容姿のことではなく、意識のことです。
変わるタイミングは、『気づき』です。
理由や理屈や言い訳は、自我のいい分であって、何も変わりません。
正直に、素直になれば、きっとガイドが教えてくれます。