自我の世界は、わたしが気にいるならOKだけど、気に入らないモノは受け取らない。
そんな世界でした。
そこは、コントラストが存在し、ジャッジすることで、自分の位置を確認するような場所でした。
外の世界を観て、そう思っているのは、わたしなのにね。
外の世界には、何もなかったんです。
あるのは、わたしの想いや感情でした。
自我の幻想物語には、いろんなわたしがいました。
悲しんだり、喜んだり、泣いたり、
自己否定したり、無価値観を感じたり、執着したり、依存したり・・・
それらは結局、自我のわたしを守りたかったから。
完璧なわたしでいたいための、言い訳や辻褄合わせの為に、幻想物語を創っていました。
わたしは、何も考えてもいないし、何も思ってもいなかったんです。
自我の世界にどっぷり浸かっていた時は、想いや感情で、頭の中がいっぱいでした。
ですから、
常に流しそうめんのように、ただ流れて行く。そんな状態でした。
今、わたしは、自我のわたしが思っていることを、全て受け入れています。
それができるのは、たった一人の自我のわたしをみつけたからです。
外の世界を観て、
ある時は、過去の記憶を思い出して、
自我のわたしが、何かを言ってきますが、「そう思ったんだよね。」
肯定も否定もせず、ただ、そう思ったことを、そのまま受け入れています。
「そう思ってはいけない。」とか、
「そう思っていいよ。」とか、
そういう想いは、人間意識が思うことであって、
それは、宇宙の流れには沿っていないことが、わかったからです。
わたしの願いは、この自我の世界を脱出した世界を観たい。
そう思っているから、脱出する方向へ舵をとっています。
正しいと思う想いは、必ず否定を選択していきます。
自我の世界のループから、出られなくなってしまいます。