誤魔化したことがバレてしまって、そこを指摘されると、腹が立ちます。

 

腹が立ったその瞬間、

 

「ズレましたよ。」

 

と、教えてくれています。

 

 

 

自我は、わたしを完璧な人だと思っています。

 

完璧なわたしなのに、間違ってしまったのですから、それを認めることなんてできません。

 

どうあっても完璧でいたいわたしは、わたしが間違ったのではなく、誰かのせい、何かのせいにして、完璧を保とうとします。

 

 

 

ただ、この誤魔化しを続ける限り、『魂の羅針盤』には乗れないんだと、心底そう思いました。

 

 

 

心底そう思ったので、どんなことをわたしが言っているのか、徹底的に観て、誤魔化しているわたしがいたら、裏側のわたしをみつけ、ただひたすら、受け入れることにしました。

 

 

この「受け入れる」ということを、思考で思っただけでは、一切通用しないのが、宇宙の法則です。『理』があるんです。誤魔化しは、一切通用しないんです。

 

宇宙の法則は、ジグソーパズルのように、ピッタリはまらないと沿うことができないんです。

 

よく似たピースを、無理やりそこへねじ込もうとしても絶対に入らないんです。

 

 

 

 

ただ、ひたすら自分に意識を向け続けていたのに、一瞬の隙間を狙って、自我の言い訳行動をしていました。

 

行動してしまったことを、なかったことにすることはできませんから、その言い訳をした裏側のわたしを見つけることにしました。

 

 

 

 

 

自我と闘っているわけではなく、自我の向く方向へ舵を取ると、わたしが望む方向へ意識が向いていかないので、発動する前に、フラットへもっていきたいだけなのですが、本当にこの吸引力は、半端なく強い。

 

 

 

 

この間テニススクールで、コーチとラリーをしていたとき、コートギリギリのライン近くまで返したいのに、サービスラインを超える程度を何回か繰り返した時、

 

「優しく言えば、「もう少し奥に向けて打ってきて」だけど、厳しく言えば、考え方が甘い。意識を向ければできるのに、それをやらないでいる。」

 

と、コーチに言われました。

 

 

本当に、その通りです。

 

 

 

 

自我の世界を脱出できた時に、その方法がわかるのでしょうが、

 

誤魔化しているわたしに気づけないような意識の向け方をしている限り、『魂の羅針盤』に沿う事はできないと確信しています。

 

 

 

 

東京へ行きたいなら、東京行の乗車券を買うように、

 

自我の世界を脱出したいなら、脱出できるラインに乗るしかありません。

 

 

 

やり切るまで、この世界は動かない。