今日、仕事が終わって、車を運転しながら気づいたことがありました。
建物があり、車が行き交い、人が歩いている。
ただ、そうあるだけなのに、
わたしのこの小さい頭の中では、この世界を覆いかぶせるほどの世界が広がり、それがわたしの全ての世界になっていました。
あの人も、この人も、みんなそれぞれの世界を、創造してる。
自我の世界だけで生きていたわたしは、自分の想いや感情に振り回されて生きていました。
それが当たり前の世界でした。
感情の炙り出しは、課題投下のサインだと知ってからは、感情が現れたら課題を解いていくことを繰り返していきました。
そのうち、段々と、わたしの観える世界が穏やかになっていきました。
穏やかになると、それで安心して、またどっぷりと自我の世界に入り込んでいきました。
感情が炙り出される時は、相手が存在していました。
感情をそのままにしておくと、苦しいので、何とか課題と答えを見つけようとしました。
その感情が、穏やかになってきたとき、一番やっかいなのは、『わたし』だと気づくようになりました。
外の世界を観て、常に何かを喋っているわたしがいました。
「あれは、ダメでしょう。」
「あんなこと、普通するかなぁ」
「なんで、あんなことを言うんだろう。」
常に、わたしの常識と、外に観える世界を比較し、評価をする。
わたしの気にいることは受け入れるけど、それ以外は一切受け付けようとしないわたしがいました。
それが自我の世界だと知って、自我を手放そうと必死になりました。
「自我なんて、必要がないものだ。」
そう思っていたからです。
抵抗せずに、ただ受け入れるだけでいいんだとわかるようになるまで随分時間がかかりました。
この宇宙には、肯定の流れがあり、肯定の流れに乗れば、抵抗がないことを知りました。
どんどん楽な世界になっていったことで、
結局わたしは、再び自我の世界に入り込んでいました。
今日、ようやくわかりました。
母の世界まで創造しようだなんて、誰かこの傲慢なわたしを
滝つぼに、放り投げて下さい。
一瞬たりとも、『わたし』から目を離してはいけなかった。
自我を甘くみていたのは、わたしでした。
この1週間ほど、何をどうしていいのか、どの位置に立てばいいのかが全くわからなかったのは、自我の世界に、どっぷり浸かっていたからだと、わかりました。
どんな言い訳もできないほど、わたしは全く気が付いていませんでした。
あの感覚を感じ始めたら、自我の世界に入り込んだことがわかるくらい、何も観えない世界でした。
でも、今度あの世界に戻ったら、もう二度と出られないように思います。
警告してくれたんだと思えます。
自我が出張ってくることを見破ることも、
肯定の選択行動をすることも、
ゼロ点にもっていくことも、
今のわたしには、まだ難しいと思えます。
でも、わたしは、わたしが決定してきた『魂の羅針盤』を歩きたい。
この自我の世界を脱出したら、どんな世界が観えるのか体験したい。
まだまだ至らないところも、底抜けに観えてきたけれど、
それでも丁寧に丁寧に進んで、
それが、当たり前の世界へと成りたい。
今回の体験は、本当に体験してよかった。
気づかせてもらえて、本当によかった。
否定するものなど、何一つなかったんだ。