母が、7月の中旬ごろから体調を崩し始めた頃から、
わたしの意識の世界が、揺れ動き始めました。
いつもなら、母の体調は、1週間ほどで回復するのに、今回は2ヶ月を経過しても体調が戻りません。
そんな母を観ながら、
母の自己免疫疾患に対する内科受診を始め、循環器内科の受診、眼科受診。
いつも母の体調を気にして、どのタイミングで病院受診をしようかと思うわたしは、「しんどい」と思っているわたしに気づきました。
2年ほど前は、内科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科、神経内科と、今以上に受診に付き合っていました。
自分でも、今の何がしんどいのか、よくわかりませんでした。
母は、91歳になりますが、認知症もなく、自分のことは自分でできます。
時間通りに、日常を過ごします。
テレビばかり見ているのはイヤだと、得意な手芸をたくさん作っていました。
そんな母が、体調が悪く、起きているのが辛くなり、手芸をしなくなって、お風呂に入るのも体がしんどいからと入らずにいました。
今週の月曜日になって、母が、わたしに迷惑をかけたくないと、施設入所すると決断しました。施設に連絡を取ったところ、9月4日に入所することが決定しました。
母は、わたしが仕事に行っている間、少しずつ少しずつ、荷物を詰め込んでいます。
わたしは、母に言います。
昨日より元気になってきたし、また元に戻れるんじゃないか。
施設に行っても、外泊してもいいんだから。
行くのを止めてもいいんだから。
そう言いながらも、
施設であれば、看護師さんもいるし、病院へ行けなくなっても担当医がいるし、昼間も誰かが話し相手になってくれるだろうし、お風呂も機械浴で、楽に入れるだろうし・・・
きっと、母も安心できるだろうと思っています。
病院受診は、母が歩けるなら、わたしが施設まで迎えに行って、施設に送ります。
車いすなら、病院で落ち合って、わたしが受診の付き添いをします。
しんどいと思っていたのに、病院受診で母と会えることを楽しみにしているわたしがいました。
昨夜くらいから、わたしの様子がおかしい。
靄がかかったようになり、いつもの意識の位置に立つことができなくなっていました。
『鏡の法則』を遣える位置に立とうとしても立てません。
何をどうすればいいのか全くわかりません。
超えなければならない何かがあるように思いますが、何を超えればいいのかもわかりません。
きっと、母が何かを観せてくれているに違いない。と思うのですが、観る事ができません。
思考を遣うのを止めようと思っても、それもできません。
夕食を食べたあと、お風呂に入って体を洗い始めたら、
「うわぁ~」っと叫びたいような感覚が、胸を圧迫し始めました。
その時です。
「認めて欲しい。」 と、声が聴こえました。
そうか、認めて欲しかったのか。
そう気づいた瞬間、
まるでコルクの栓が抜けたように、ポンッと、胸の中の塊が消滅してしまいました。
走馬灯のように、幼い頃の記憶が蘇りました。
兄は、いつも成績優秀で、だからわたしは普通の成績でも、バカだと言われていたこと。
兄の為に、夜食を毎日作る母。
わたしは、何でも自分でやらないとイヤだったので、遠足の時でも、どんな時でも自分で準備をしますが、兄は一切何もせず、全部母が用意をしていたこと。
どんなに頑張っても、兄の成績の足元にも及ばす、いつも兄と比較されていたこと。
表側のわたしは、認めてもらいたいと思う裏側のわたしを体験していました。
一緒に住んで、母が望んだことは全てやりきってきました。
母は、わたしと一緒に住めたことで幸せだったと何度も言うのに、わたしは少しも満足していませんでした。
それどころか、劣等感を感じていました。
裏側のわたしは、思っていたんです。
「こんなに一生懸命しているのに、まだわたしのことを認めてくれないのか。」と。
軽くなったので、表側のわたしと裏側のわたしが一対になれたと思います。
やっと、わたしも元のわたしに戻れました。
このブログを書いている時に、母が一週間ぶりにお風呂に入りました。
そして今、明日の朝、洗濯機を回しておくので、洗濯物を干して欲しいと、わたしの携帯に電話がありました。
表側のわたしが、裏側のわたしに気づいた時、心はとても軽くなります。
そして、何とも言えない喜びを感じます。
これからも、母に対して同じことをしていきますが、そこには承認欲求も、劣等感もない世界になると思っています。
わたしは、母が、
「この人生で良かった。」と思える創造をしていきます。