自我の世界に、どっぷり浸かっていたころ・・・

 

というより、

 

その世界しか知らなかった時、

 

外の世界を観て、わたしにとって『快』ならば、そのまま気持ち良く言動や行動が続いていきました。

 

でも、

 

外の世界を観て、わたしにとって『不快』ならば、そこで炙り出された感情を、押し殺して何とかその場をしのぐか、

 

その『不快』に対して、感情をあらわにして、我慢などせず、言いたい事を言う、もしくは行動に現していました。

 

 

 

感情を、押し殺したところで、心の中では悶々と燃え滾るその想いを、人間関係を悪くしたくないからと、何とか閉じ込めてはみるものの、

 

誰かにその想いを聴いてもらわないと収まらない状態になったり、家族にあたったりしていたように思います。

 

 

 

 

 

人間社会では、感情をコントロールできる人が、大人で、いい人で、素晴らしい人だと言われることがあります。

 

逆に、感情の赴くままに、言いたい放題言う人は、クレーマーだと言われ、段々と人が近寄らなくなったりします。

 

 

 

想いや感情が優位になるのが、自我の特徴ではありますが、

 

可能なら、我慢することなく、相手を傷つけることなく、自分の想いを伝えたい。

 

わたしが言いたい事を、わたしが思っている事を、わかって欲しい。

 

そんな、ちぐはぐな想いを持っていたように思います。

 

 

 

 

『ゼロ点からリスタートする。』

 

これができるようになって、劇的にわたしの世界は変わっていきました。

 

 

 

 

例えば、

 

夫婦喧嘩が勃発した時、売り言葉に買い言葉状態になって、もうどうにもならなくなって、どちらかが外に出て行って、そのうっぷんを晴らすがごとく、居酒屋にお酒を飲みに行ったり、ふて寝して、「顔も見たくないし、口もききたくないわい!」状態になると、

 

納得してなくても、この場は丸く収めた方がいいだろうと、どちらかが謝るとか、何かのきっかけで、また話しだすとか・・・と、

 

結構な、手間暇がかかってしまいますし、何度も繰り返せば、離婚まで、このタイムラインは創られていくかもしれません。

 

 

 

 

感情は、課題投下のサインだと、心底わかるようになると、胸に感じる振動で、

 

「あっ」

 

と、気づくようになります。

 

「腹が立つ!」とか、「ムカつく!」というのは、後からくっついてくる感じです。

 

 

 

 

感情が、課題投下のサインだと、心底わかるようになっている状態というのは、

 

もう何度も、何度も、数えきれないくらい自分の感情に意識を向け、

 

「いったい何を教えてくれようとしているのか」と、

 

課題と答えをみつけた時に、一気にわたしの観える世界が変わってしまうという体験を、

 

何度も何度も繰り返した結果、

 

感情は、課題投下のサインで、わたしを成長させてくれる存在だと確信が持てた状態です。

 

 

 

ですから、感情が現れる前の振動の状態で、その振動を流すことができるようになりました。

 

最初の頃は、深呼吸が必要でしたが、今は、一瞬で流すことができます。

 

これは、我慢するとか、感情の抑え方が上手くなったということではなく、

 

進路変更をするタイミングを捉えることができる。

 

と言った方がいいかもしれません。

 

 

 

 

電車で言えば、猪突猛進状態だったのを、

 

一旦減速して、進路変更ができるようなイメージです。

 

 

 

売り言葉に買い言葉状態では、そのまま真っすぐ進んで、脱線するまでスピートが緩むことはありませんが、

 

胸に感じた振動を流すことができれば、そこからリスタートができます。

 

 

 

「腹が立つ」という感情を持ったままで、その後も進んでしまうと、

 

言葉も行動も、「腹が立つ」を乗っけた状態で、電車は走り出します。

 

 

 

 

大抵は、振動で流してしまえば、あとは『肯定』へと行動するだけですが、

 

その後も、何度も頭の中で思い返すようなことがあれば、必ずそこには課題があります。

 

 

 

 

課題は、解かなくてもいいのですが、

 

解かない限り、人や場面を変えて、同じ課題がやってきます。

 

それでもそこから逃げようとすると、

 

どんどんと、課題投下が起こり、感情に振り回され、答えを探す余裕などなくなってしまいます。

 

 

「鉄は、熱いうちに打て」と、ことわざがあるように、

 

課題と向き合うには、時機があり、好機を逃していくと、どんどんと解けにくくなっていきます。

 

 

 

 

 

感情が、課題投下のサインだと心底わかっていれば、振動の時点で流れていき、ゼロ点に持っていくことができますが、

 

感情を抑え込むという感覚を持ったままだと流れていかず、我慢して蓋をするような状態になり、モヤモヤしたまま、その後の行動も続いていきます。

 

 

 

 

ゼロ点とは、フラット状態です。

 

どちらにも傾いていない状態です。

 

その位置からなら、『肯定』へ向かっていくことができますが、

 

どちらかに偏っているのは、『否定』を選択している状態なので、そのまま進めば『否定』の選択決定をする行動になっていきます。

 

 

 

 

言葉にした瞬間。

 

行動にした瞬間。

 

それらは結果となり、外の世界に現れます。

 

もう、戻すことはできません。

 

 

 

 

『肯定』の選択決定をして行動に移した時には、もう先ほどの胸に感じる振動は消滅しています。

 

我慢も、蓋をする必要もありません。

 

 

 

 

意識をゼロ点に持って行く。

 

そこから、リスタート。

 

 

 

繰り返される自我物語から、脱出できる一つの方法です。