霊性進化のプロセスを体験してきて、思うことがあります。
それは、
人間意識が思う、
「可哀そう」とか、
「それくらいなんとかならないの」とか、
「もう、赦してあげたらどうなの」というような、そんな中途半端な想いは、
「一切、通用しないんだ。」ということ。
宇宙の法則は、
「放ったエネルギーは、必ず還ってくる。」
という、秩序正しい法則。
あの人は、よく頑張っているから、ゆるくしてあげよう。
あの人は、人一倍優しいから、こんなもんでいいだろう。
あの人は、よくお金を稼いだから、その分は差し引いてあげよう。
などということは、一切起こらない。
そんな人間の采配など、全く関係なく、宇宙の法則は存在しています。
完全なる平等で、一切の妥協はなく、法則通りの流れがあります。
逆に言い換えれば、
法則の『理』を知って遣うことができれば、守ってくれる。
「仏の顔も三度まで」
そのことわざは、この法則のことを言ってるんじゃないかと思えてしまう。
「そのまま進むと、えらいことになってしまうよ。」
そうやって、サインを送ってくれているのに、
無視をする。
わたしが体験してきた全ては、
わたしの『魂の羅針盤』の道筋に、乗せる為にありました。
だのに、意地を張って、わざわざ、線路のない土の上を歩いていました。
わたしが、いつまでも手放さなかった、わたしが、正しいと思うこと。など、全くもって関係なかった。
今、わたしは、わたしの持つ感覚に意識を向けています。
感覚とは、人間の体が持つ五感ではなく、
わたしにしかわからない、感覚です。
胸がモヤモヤしているとか、
何か重い感じがするとか、
痛いような気がするとか、
その感覚です。
外に観える世界と、この胸に感じる感覚を照らし合わせています。
舵をとっている感覚です。
常に「ゼロ点」に持っていき、スタートさせる。
思考が何を考えているのかを観察して、「ゼロ点」に持って行く。
霊性進化プロセスは、
これだと決定したら、やりきります。
わたしの分相応ピッタリに。
そうすると、必ず、次の扉が現れます。
でも、「もうここでいいや。」と、前に進まなくなれば、
『魂の羅針盤』から外れたことになるので、
辛苦のある、二元性の世界へ引きずられて行くんだろうと思います。
わたしは、それがイヤというより、
こんなにわたしが観る世界が変わってしまったのですから、
どこまで変わるのか、観てみたい。
だから、ひたすら継続あるのみ。