この世界に生まれたから、
周りと同じように生きるのが当然でした。
学校へ行き、卒業したら働いて、結婚をして子供を育てて、両親の介護をして、やがて自分も老いていく。
その生き方が良いとか悪いとか、そういうことではなく、
ただ、そうしなければならない。
そう生きることが当たり前で、
いつ訪れるかわからない、死を迎えるまで毎日を過ごす。
その時その時の目標があったり、目的があったりはしますが、
そこへ到達してしまうと、次の目標を探したくなる。
探したくなるというよりは、目標がないと不安になる。
と言った方が、合っているかもしれません。
そんな人生を歩んできたわたしは、もうここにはいません。
やっと見つけた『魂の羅針盤』
最初の頃は、
北極星が観えることは観えるけど、
どの道を選択すればいいのか、わかりませんでした。
毎日の日常の中で色々体験をしながら、
自分の思考、意識、胸に感じる感覚、言動、行動を観察していきました。
『快』を感じる時と、『不快』を感じる時の違いがわかるようになっていきました。
思考、意識、感覚、言動、行動が一致している時は『快』 = 軽い
思考、意識、感覚、言動、行動が一致していない時は『不快』 = 重い
思考、言動、行動は、一致しています。
「めんどくさいなぁ」と、頭の中で思っていれば、
言動にも、その想いが乗っかります。
「了解した」と言いながら、イヤイヤ感丸出しです。
行動は、それに一致し、めんどくさそうに、トロトロやる。
意識は、思考とは別の方向へ舵を取ろうとしています。
「本当は、もっと素直になりたいと思ってるよね。」
「本当は、それをやった後は、爽快な気分になることを知ってるよね。」
「本当は、やった方が相手も喜ぶことを知ってるよね。」
本当のわたしの存在。
「めんどくさい」と思っている時の胸に感じる感覚は、モヤモヤしています。
本当のわたしの思っているように行動すると、モヤモヤは一切なくなる。
『魂の羅針盤』の示す道筋は、
思考、意識、胸に感じる感覚、言動、行動が、全て一致した選択をした時なんじゃないか?
そう思ったわたしは、
「本当のわたし」を探すようになりました。
「めんどくさい」 と思う方は、自我のわたしです。
この自我の想いを選択せず、本当のわたしを選択するように、ひたすらわたしに意識を向けていきました。
人は、いつも思います。
「本当は、そうしたいんだけど、周りがねぇ」
「本当は、優しくしたいんだけど、わたしばっかり損してるみたいでさぁ」
「本当は、手伝ってあげたいんだけど、なんか甘やかせてるみたいでさぁ」
自分で自分に言い訳をして、本当のわたしに蓋をする。
本当のわたしに、素直になれないわたしがいる。
本当のわたしを、誤魔化そうとするわたしがいる。
自我の世界を超えるには、
自我の言う通りにするのではなく、
本当のわたしに意識を向ける。
どの道を選択しても、
今世の『魂の羅針盤』の方向へ向かっています。
ただ、どうあっても、そこへ行くまでのプロセスが存在します。
そのプロセスを、辛苦を味わい、遠回りをして、重い荷物を持ちながら歩くのか、
それとも、楽しみながら『楽』に歩くのかには、随分な違いがあると思います。
この光の道を歩くことができるように、調律していく。
今、わたしは、そんな『今、この瞬間』を選択しています。
何も迷うことはないわけです。
ただひたすら、現実世界を遣って、霊性進化プロセスで学び、次元上昇していく。
肉体を離れるその瞬間、どこまで次元上昇しているのか、今のわたしにはわかりません。
でも、その次元上昇が、来世に引き継がれていきます。
今のわたしを、体で例えれば、どこかの細胞の一つに過ぎません。
でも、その細胞の一つ一つが調って、初めて体は健康でいられます。
そんなふうに、この宇宙もそうなんだろうと思います。
わたし一人が、この世界にいようがいまいが、何の変わり映えもしないと思いがちですが、そのわたしの小さな一つのピースがなければ、その絵が完成しないように、
わたしが、わたしを調えることは、この宇宙にとって、とても必要なことだと思っています。
でなければ、わたしはこの世界に誕生していなかった。
ときどき、ずっこけて足を踏み外す時がありますけどね。