その人の話しを聴いていると、本当にそうだと思う。

 

そんなふうに、物事を捉えることができたら、どんなにいいだろうと思う。

 

話しを聴いていると、涙が出たり、感動を味わう。

 

 

「あぁ、あの人の話しを聴けて良かったわぁ。また聴く機会があれば、是非参加したいなぁ。」

 

 

自分が、とてもいい人になったような気分になり、何だか違う世界にでも行っていたように感じる。

 

そんな、ルンルン気分で帰ってきたのに、

 

 

 

 

夢から一気に現実に戻ってしまう。

 

そんな経験を何度かしたことで、自己啓発の研修やセミナーには行かなくなりました。

 

研修やセミナーでの知識を、活かすことはできなかったわけです。

 

 

 

 

 

今のわたしは、わたしが観る現実世界を、変えることができるようになりました。

 

『不快』を『快』に反転することができるようになりましたし、

 

『否定』を『肯定』の流れに乗せることもできるようになりましたし、

 

重い周波数を、ゼロの位置に持って行くこともできるようになりました。

 

 

 

 

何故、あの時のわたしは、わたしが観る現実世界を変えることができなかったのか。

 

第一には、聴いているだけで満足してました。

 

第二には、この世界の創造構造を全く知りませんでしたから、研修やセミナーを活かすことができませんでした。

 

 

 

 

 

霊性進化プロセスは、誰もが歩んでいます。

 

このことを知っていても、知らなくても、歩んでいます。

 

 

 

霊性進化プロセスは、わたしが観る現実世界を遣って学んでいきます。

 

言い方を変えれば、

 

わたしが観る現実世界は、霊性進化の為にあります。

 

わたしの分相応に、見事に舞台設定が出来上がっています。

 

 

 

 

 

自我の世界で生きていた頃は、悩まない日などなかったように思います。

 

職場や知人との人間関係で悩む。

 

お金のことで悩む。

 

仕事の事で悩む。

 

子どもの事で悩む。

 

義父母や、実父母のことで悩む。

 

 

 

 

その世界から、抜け出せませんでした。

 

 

 

『魂の羅針盤』の道の上に乗るまでに、わたしは、61年かかりました。

 

61年かかったけれど、『魂の羅針盤』の道の上に立ち始めることができました。

 

自我の世界で思っていた『幸せ』とは、かけ離れた『幸せ』です。

 

 

 

『今、この瞬間』を、自分の望む方向へ舵をとれることは、

 

何を目的に生きればいいのか。

 

何をすれば、幸せになれるのか。

 

 

 

そんな、真っ暗闇の中を、手探りで歩くような生き方ではなく、

 

地に足がついた生き方です。

 

 

 

歳を重ねることの不安もなく、

 

死への恐怖もなく、

 

ただひたすら、自分がどこまで次元上昇することができるのか、

 

どんな世界を観ることができるのか。

 

意識は、ただひたすら前を向いています。

 

 

 

 

わたしが観る現実世界は、知識だけでは何も変わりません。

 

でも、知識は必要です。

 

 

宇宙の法則は、分相応にしか遣うことができません。

 

だけど、自分の分相応がどこなのかもわかりません。

 

 

 

 

わからないことは、わからないでいい。

 

きっと、わかる時がくる。

 

それが、わたしの分相応です。