「朝から虹を見たわ。今日は、運気が良くなりそう音譜

 

「明日の旅行の準備をしていたら、スーツケースの中に封筒に入った1万円を見つけたわ。きっとこの旅行で何かいいことが起きるんだわ。音譜

 

「買おうかどうか迷っていたけど、買う事に決めてお店に行ったら、在庫1個だけで購入することができたわ。何だか運が良くなっていきそう。音譜

 

 

 

 

自分に迷いがあって、どうしようか、どちらを選択しようかと迷っている時に、偶然見た看板に

 

「やるっきゃない!」

 

みたいな文字をみつけると、背中を押してもらったような気分になり、やることを選択したりする。

 

 

 

 

わたしが観ている世界が、どんな構造でできているのか。

 

「運が良い」とは、どういうことなのか。

 

 

 

宇宙の流れの『理』を知ることができれば、

 

いつやってくるのかわからない運を待たなくても、

 

自ら『運のいい世界』を創造することができるようになります。

 

 

 

 

 

「運がいい人は、いつも運が良くて、運が悪い人は、いつも運が悪い。」

 

そんなことになるのは、持って生まれた運で決まってしまうんだろうと思っていました。

 

裕福な家庭に生まれた人は、生まれた時から運がいい。

 

わたしみたいな、極々平凡で、何の取り得もないような、そんな家庭に生まれたら、運がいいも悪いも、平凡に生きていくしかないじゃない。

 

 

 

 

 

本で読んだのか、ネットで読んだのか、もう忘れてしまいましたが、企業での採用面接の質問で、

 

「あなたは、運がいいと思いますか?」

 

と質問した時に、どんな答を返してくるかで、採用を決める。というようなことを読んだことがあります。

 

謙虚に答えた方がいいのだろうかと考えてみたり、

 

自分の生きてきた人生を瞬時に振り返って、そんなに運が良かったわけではないのに、「運がいいとは言えないかな。」と考えたり・・・

 

 

結局のところは、

 

「はい!わたしは、メチャクチャ運がいい人生を歩んでいます!」

 

と、答えた人が採用。

 

 

 

 

言葉は、そんなことを思っていなくても、言うことができます。

 

例えば、

 

感謝などしていなくても、ありがたいと思っていなくても、

 

「感謝しています。ありがとうございます。」

 

などと平気で言うことができます。

 

 

そう言っておくことが礼儀だとか、そう言うことが当たり前だとか、この場の雰囲気で、そう言っておいた方がいいだろうとか、

 

そういう想いだけでも、言葉を発することができます。

 

 

 

ところが、

 

 

 

「はい!わたしは、メチャクチャ運がいい人生を歩んでいます!」

 

と、日ごろから運が悪いと思っている人は、この言葉は言えない。

 

 

 

「運がいい」と思ってる人は、いつも「運がいい」と思ってますし、言葉にも出しています。

 

「わたしって、いっつも運がいいわぁ~」って。

 

 

「運が悪い」と思っている人は、いつも「運が悪い」と思ってますし、言葉にも出しています。

 

「わたしって、いっつも運が悪いのよ。」って。

 

 

 

 

上記は『肯定』の流れに乗り、下記は『否定』という杭を打っています。

 

 

 

 

『今、この瞬間』の自分が発する言葉には、周波数が乗っています。

 

『今、この瞬間』の自分の行動には、周波数が乗っています。

 

 

 

どんな周波数を乗せようが自由ですが、

 

宇宙には、

 

『自分が発した意識とエネルギーは、必ず還って来る。』という法則があります。

 

『快』の意識とエネルギーを発すれば、『快』として還ってきますし、

 

『不快』の意識とエネルギーを発すれば、『不快』として還ってきます。

 

 

 

言い方を変えれば、

 

『不快』の意識とエネルギーを発して、『快』は還ってくることはない。ということです。

 

 

 

 

自分の目の前に現れた現実は、自分が発した意識とエネルギーが還ってきたモノだと素直に受け取り、

 

『不快』(=感情=重い周波数)を感じたら、課題投下のサインだと受け入れ、解を探してフラット(=ゼロ)にしていきます。

 

『不快』を『不快』で発すれば、『不快』+『不快』が還ってくるという法則から逃れることはできません。

 

『不快』を『ゼロ』にしてしまえば、『不快』は消滅してしまいます。

 

 

 

 

「運がいい。」「運が悪い。」は、自分の意識と行動次第でいくらでも創造できます。