ひたすら『わたし』を観察してみる。

 

 

何を想い、

 

何を考え、

 

どんな行動をしようとしているのか。

 

 

 

 

 

自我意識優位の時は、ダダ洩れでした。

 

 

想いと感情が、一気に溢れ出し、

 

その想いと感情で、言葉を発したり、行動をする。

 

 

 

それでも、わたしをそうさせたのは、相手であると言い張っていた自我意識のわたしは、

 

自分が発した言動や行動に、一切の責任も持たず、

 

ただ、その時のわたしの想いや感情をアピールするのみ。

 

 

 

 

わたしがこんなに辛い想いをしているのも、

 

わたしがこんなに我慢をしているのも、

 

あなた達の為なのよ。

 

そんな意味のわからない道理を、

 

何の疑問も抱かず、

 

何の矛盾も感じず、

 

ただただ、まき散らしていました。

 

 

 

 

 

今のわたしは、

 

わたしを観察しまくっています。

 

 

 

「ん?今、そう思ったよね。」

 

「うん、思った。」

 

 

 

「ん?今、ジャッジしたよね。」

 

「うん、してた。」

 

 

 

「ん?今、めんどくさいって思ったよね。」

 

「うん、思った。」

 

 

 

 

わたしの内側の世界と、わたしが観る外の世界を、常に観察し、どんな行動に出ようとしているのかを、事前に見極める。

 

 

 

 

思ったら、直ぐに行動する。

 

思ったら、直ぐに話す。

 

 

 

「思ったら」と「直ぐに」の間は、ほんの数秒もなかったかもしれない。

 

その数秒が、どれだけ大切な選択の時間であったのかなど、到底知りませんでした。

 

 

 

 

今も、ほんの数秒ですが、

 

この数秒の間に、瞬時に『肯定』のタイムラインを選択できるようになってきました。

 

 

 

それだけ

 

 

 

鍛え上げてきたとも、言えるかもしれません。

 

 

 

宇宙の法則には、

 

やり切った後に、次の扉が開くというしくみがあります。

 

 

 

これもコツがありまして、

 

「やり切らなければならない。」

 

と、ガチガチ状態で、裏に何かの想いがあって、表にこの想いが出てくるようでは、いつまでたっても扉は開きません。

 

 

 

また、誰かの真似をして、同じように同じレベルになろうとしても、上手くいきません。

 

 

それに、結果を求めても上手くいきません。

 

 

 

『今、この瞬間』を、やり切っていく。

 

それは、自分が望むことだけではなく、わたしの日常全てを遣って。

 

 

 

 

急がば回れ。