先週末から、『わたしの想い』を、全て解除(手放す)することを実践しています。

 

 

「そんなことをしたら、感情はどうなるの?」

 

「わたしの想いは、どうなるの?」

 

 

そんなふうに思われるかもしれませんが、

 

それは、『本当のわたし』ではないので、何ら問題はありません。

 

 

 

 

 

自我意識優位の時は、全てが、丸っとわたしでした。

 

頭の中で何かを考えているのも、

 

感情に振り回されているのも、

 

こうした方がいいだろうと判断して行動しているのも、

 

全てが丸っとわたしで、それがわたしでした。

 

 

 

 

 

でも、自我を手放すようになって、

 

概念や信念、自我は、わたしではないことがわかってきました。

 

 

言うなれば、わたしが人間として取り入れた、ただの情報です。

 

 

 

手放すというと、捨ててしまうとか、無くしてしまうとかを思ってしまうかもしれませんが、そうではなく、フォーカスしなくなるということです。

 

フォーカスしてしまうのは、それが気になるからです。

 

 

自分が持っていないモノを、誰かが持っていると気になってしまう。

 

拘っていることがあると、それが実行されるまで執着してしまう。

 

 

 

新しい車を買おうと決心すると、走っている車や車の看板が気になったりする。

 

お気に入りのバックを買って持っていると、他の人がどんなバックを持っているか気になる。

 

 

これは、表側のわたし(わかっているわたし)が、フォーカスしていることですが、

 

裏側のわたし(わかっていないわたし)が、フォーカスしていることには、なかなかわからないモノです。

 

 

 

『鏡の法則』を遣って、裏側のわたしがフォーカスしていることに気づいて、手放していくと、

 

外に観える世界は、ただ在るだけになっていきます。

 

 

 

観ていても、ただそこに在るだけですから、何の辛苦も生まれません。

 

 

 

 

そうやって手放し続けていると、

 

「想いを持っている人間意識のわたし」と、

 

「何も持っていない、スピリット意識のわたし」は、別モノであることがわかってきます。

 

 

 

 

「想いを持っている人間意識のわたし」は、その想いを言葉にし始めます。

 

そこには、必ずコントラストが存在します。

 

 

「あの人は、あんなことをしていた。」

 

「あの人は、何でも欲しがっていたよね。」

 

 

必ず、他人軸になって、

 

わたしを基準に、良い悪いの判定をしだします。

 

 

 

 

この部分が現れたら、幻想物語が始まる前に、解除(手放し)していっています。

 

幻想物語は創られなくなっていきます。

 

 

 

だから、いつも頭の中は、空っぽ状態です。

 

 

とにかく、やり切ってみようと思います。