頭の中を空っぽにすることなんて、
頭の中を空っぽにしてしまえるなんて、
自我優位で生きていたわたしには、とうてい思いつくことではありませんでした。
自我を手放し続けてきて、気づいたことがあります。
それは、
頭の中が、とても静かになったことです。
以前は、四六時中、頭の中で何かを考えていました。
夕食のことを考えていたと思ったら、昨日のイヤな出来事を思い出し、
思い出していたと思ったら、連続ドラマを思い出し、
と思ったら、今月の支払いのことを思い出したり、
と思ったら、明日の仕事の事を思い出し・・・
頭の中は、常にやかましく、常に何かを喋っていました。
でも、何も解決しない。
何を考えていたのか忘れてしまう。
そんな頭の中が、自我を手放し続けたことで、とても静かになっていきました。
とても静かになったので、
何を考え、何をしようとしているのかが、明確にわかるようになっていきました。
頭の中がやかましかったのは、自我が創り出す幻想物語でした。
不安なこと、
我慢していること、
不満なこと、
言い訳、等々
そんな内容の物語であったように思います。
自我を手放していったことで、
不安なこと、
我慢していること、
不満なこと、
言い訳、等々が、無くなってしまいましたから、
自我の幻想物語が、頭の中で創られない。 = 静か。
わたしが、毎日の日常で身に着けたことは、何も考えなくてもできていきます。
車を運転するのに、車の運転のことを考えなくなるのと同じです。
初めて体験することや、読まないとできないことなど、
頭を使わないとできないことは、頭を使いますが、
それ以外は頭を使う必要はないのだと、わかるようになってきました。
昔は、肩がよくこりました。
めちゃくちゃ頭で考えてましたからね。
今は、肩がこらなくなりました。
逆に、肩がこりだしたら、「頭を使ってるな」と、わかるようになりました。
頭が静かになっても、何も困ることはありません。
逆に、楽です。
感情に振り回されたり、不安や恐怖で頭の中がいっぱいになって、
自分が創った、自我物語に苦しめられることは無くなってしまいましたから。
そんな体験から、
わたしを苦しめていたのは、わたしの概念や信念、自我だったことも、わかるようになりました。
頭の中が、静かになればなるほど、叡智と繋がることもわかりました。
わたしの分相応の質問の答えは、わたしの中に在ることもわかりました。
思考を使って、本やネットで探さなくても、
その質問の答えは、その本に載っているよと、教えてくれます。
その質問の答えは、気づきの中で、みつけることができます。
そんな体験をしていて、
空っぽになったら、どうなるんだろう。
そう思うようになりました。
これも、やってみないことにはわからない。