自我優位の時に、絶対にやらなかったこと。

 

 

 

わたしは、間違っていないのに、謝ること。

 

大嫌いな人に、優しくすること。

 

わたしが忙しい時に、誰かの手伝いをすること。

 

いつも、わたしを責めてくるような人と、話しをすること。

 

めんどくさい、苦手だと思ったこと。等々

 

 

 

宇宙の法則からすれば、

 

流れに乗らず、いつも抵抗して、逆方向へと向かっていました。

 

それは、

 

 

 

上流に向かって、オールを一生懸命に動かしているようなものでした。

 

 

でも、わからない。

 

自我の世界に、どっぷりと浸かっていたわたしには、わからない。

 

 

わたしはただ、やりたくないことは、やりたくなかった。

 

 

 

 

 

その「やりたくない」ことの判定基準は、

 

 

やったことがないこと。

 

興味がないこと。

 

何のメリットもないこと。

 

苦手なこと。

 

めんどくさいと思うこと。

 

時間が、かかりそうなこと。等々でした。

 

 

 

 

なにせ、「やりたくないこと」を、わざわざする必要などないし、

 

それをやらなくても、生活に困るわけでも、罰があたるわけでもない。

 

なら、「やりたくないこと」は、やらない。

 

 

だから、

 

「やりたくないこと」を、やった体験はなかったわけです。

 

 

 

 

だから、霊性進化プロセスの中で、

 

「やりたくないこと。」

 

「逃げたいと思うこと。」

 

「向き合いたくないこと。」

 

を超えた向こうに、次元上昇への新しい扉があるなんて、

 

 

 

驚き、桃の木、山椒の木でしたよ。

 

 

 

そりゃ、自我には、見つけにくいわ。

 

だって、自我は、

 

「やりたくないことは、やらない。」のですから。

 

 

 

でもわたしは、勇気を振り絞って、

 

 

 

飛び込むことにしました。

 

 

それがなんとも、

 

 

 

気持ちいい。

 

 

 

元々わたし達は、『快』の方向へ向かいたいと思っています。

 

やりたくなかったことの向こうに、

 

やったあとの気持ち良さを感じてしまったのですから、

 

もう、やりたいか、やりたくないかなど関係なく、

 

自分の目の前に現れた現実から、

 

一切、目を逸らさない方向へ、舵を取るようになりました。

 

 

 

それが後に、宇宙の法則の流れである『肯定』だと知りました。

 

 

 

この体験を繰り返したことで、

 

少しでも、この流れに背くと、抵抗を感じるようになりました。

 

 

だから、すぐさま、意識の舵を取り直すことができるようになり、

 

今ではほぼ、舵を取り直すこともなくなってきました。

 

 

 

ここはまだ、繰り返して無意識レベルに持って行こうと思っています。

 

それほど難しいことではありません。

 

 

わたしの日常全てを遣えば、数えきれないくらいの選択の機会がありますから。

 

 

 

常に自分が何を考え、どんな行動をしようとしているのかを、

 

外に観える世界と照らし合わせながら観察していくことを続けていけばいいだけです。

 

 

 

 

自我は、やってもいないのに、結果ばかりを気にします。

 

わたしに与えられた時間は、有限です。

 

 

今、この瞬間が、未来を決定していきます。

 

『今、この瞬間』の理を知ることができれば、

 

「後でやろう。」

 

「明日でいいや。」 は、

 

遣わなくなります。