今いる現実の世界を、変えたいと思いました。
心も生活も、もっと楽な現実に変えたいと思っていました。
だから、もがきました。
職場を変えれば、そうなるのか。
全く別の仕事をすればそうなるのか。
でも、どこに行ったって、どこで働いたって、
人間関係の良し悪しで、その場の居心地は変わってきます。
結局は、今の居場所で、辻褄合わせをしていくしかないのか。
そんなふうに考えていたわたしは、もう今の世界には存在しなくなりました。
気づきがあって、腑に落ちて、
自我を手放し、
捉え方が変わって、言動や行動が変わっていく中で、この世界の構造でわかったことがあります。
わたしが観ている世界は、
わたしの目を通して脳に電気信号が送られ、脳が映像を見せてくれていますが、
本当は、こんな世界ではないのかもしれない。
20代の頃、救急センターで働いていましたが、
その時、交通事故で運ばれてきた若い男性がいました。
脳の手術をして、意識を取り戻した彼に、
「あなたの生まれた場所はどこですか?」
と聞くと、
「イギリス人」
と、日本人なのですが、そう答えていました。
「ここは、どこですか?」 と聞くと、
「アメリカ」
そう答えていました。
レビー小体型認知症の方は、ネズミがいるとか、虫が皿の上にいるとかの幻視があり、それに伴う妄想や作話をされることがあります。
わたし達から観れば、ネズミもいないし虫もいない世界ですが、その方の世界にはそれが観える。
実際に観えるのですから、どうしようもないことです。
バーチャルの世界もそうです。
目の前には、そんな世界はないのに、その世界があるように観える。
わたしたちの脳は、観たいモノを観て、聴きたいことを聞いています。
気づきが起きて、腑に落ちた時に、いっきに世界が変わって観えるのは、
この世界が、選択によって次々と世界が創られているように思うのです。
インターステラという映画があります。
過去と現実と未来が混同しているような映画で、主人公の娘さんの行動が、現実では1つにしか観えませんが、実は、無限に存在しているという映像が映し出される場面があります。
こういった、わたしの知識と、わたしの体験を照らし合わせてみると、
今、目の前に現れた世界は、観察する為にあり、行動に移した瞬間に、同じ世界に観えますが、別の世界へ異動しているのではないか。と、最近は特にそう思います。
いわゆる、パラレルワールドです。
これが本当かどうか、証明することはできません。
逆に、教えて欲しいくらいです。この世界の本当の構造を。
ただ、
今、わたしが観ている世界が、わたしの望む世界でないと観察したなら、
そこが、わたしの分相応の世界なわけです。
今、観ている世界を変えるのではなく、
わたしを重くしているモノがあれば、手放して軽くし、
至らないところは足していって、
わたしの望む分相応の世界まで、次元上昇していけばいいのか。
この世界に執着しなくていいんだ。
そう思えるようになったことで、
わたしは、とても楽になりました。
ただ、
今のわたしは、わたしが望む世界へ次元上昇したいというよりは、
どんどん次元上昇していったら、どんな世界が観えるのかに興味が向いています。
わたしの脳が想像できることには、限界があります。
わたしの知識と体験からしか導きだすことができません。
自我の世界を、俯瞰できる位置にまでやってきました。
この世界を脱出したら、どんな世界が観えるのか。
是非、観てみたい。
そう、思っています。