霊性進化の為に、

 

朝起きて、食事して

 

何かを観て、聴いて、話して、行動して・・・

 

これからも迷わず毎日、霊性進化のことだけを考えて、生きていく。

 

 

 

 

この世界に生まれた瞬間から、その道を生きていて、

 

意識し始めたのは、10年前から。

 

 

 

霊性進化という目的があって生きているとわかったのは、1年くらい前から。

 

 

 

 

この世界には、色々な分野の『オタク』の方がいるけれど、

 

きっと、わたしも同じなんだろうと思います。

 

 

 

 

今、この瞬間、どんな行動という選択をするか。

 

今、この瞬間、どちらの方向へ意識の舵を向けるか。

 

今、この瞬間、どんな学びがあったのか。

 

 

 

 

 

実のところ、

 

占いをしなくても、自分がどんな方向に向かい、どういう世界で生きていくだろうということは、この世のしくみの理を知ってしまえば、わかってしまいます。

 

 

言い方を変えれば、

 

自分の望む方向へ舵を取れるということです。

 

 

 

 

 

占いをしてもらって、

 

「あなたは将来、大金持ちになりますよ。」

 

そう言われたから、

 

 

 

大金持ちになるのだからと、こうやって毎日を過ごしていたらどうなるのかは、誰もがわかるはずです。

 

 

 

 

霊性進化するには、テレビも観てはいけないのかとか、そういうお話しではなく、

 

『理』を知ってしまうと、

 

自分の望まない方向へは、意識も、言動も、行動もしなくなっていきます。

 

 

 

自分の望むことと、

 

『現実世界』でギャップがあるなら、

 

その両者が、マッチするように、舵をとっていく。

 

ただ、それだけのことが、

 

自我の世界では、できなかったのです。

 

 

 

 

自分の拘りや、信念、思い込み、執着、依存、被害者意識等々があると、

 

自我の世界では、そのことに気づき学ばないと、

 

必ず、反対側にある、拘りや、信念、思い込み、執着、依存、被害者意識等々を観せられることになりますから、

 

自分の望む方向へ、舵が取れないのです。

 

 

 

 

 

 

「その現実を観て、どう思ったんだい?」

 

「そこから、どんな気づきがあったんだい?」

 

「で、今から、どんな行動を取るつもりなんだい?」

 

 

そんな問いが、いつもありました。

 

 

 

 

わたしにとっては、失敗だと思ったことも、実は正解であり、

 

その失敗をしたことで、

 

「こう思って、こんな気づきがあったけど、行動に移さないと、こういう結果を観ることになるのか。」

 

と、秩序正しい、この世の法則に気づいていきました。

 

 

 

 

「モヤモヤした気持ちのまま、こういう行動をすると、こういう結果になるのか。

 

なら、このモヤモヤを先にクリアにしておかないと、また同じ結果になるということか。

 

じゃあ、いったいこのモヤモヤは何なんだ?

 

どうやったら、このモヤモヤは消えるんだ?

 

あぁ、そっか。

 

やらなければいけないと思っているのに、理由をつけたり言い訳して、そこから逃げようとするとこのモヤモヤは現れるのか。

 

なら、やらなければならないことを精一杯やってみたら、どんなふうになるんだろう。」

 

 

 

 

ただ、

 

生活するために働いて、働くために生活して・・・

 

働くことができなくなったら困るから、ストレス発散して、健康に気をつけて・・・

 

そんな生き方から、

 

 

霊性進化一択になったわたしの生き方は、

 

その日常全てが、霊性進化するための、設定背景になっていきました。

 

 

 

 

思考では、どうにもならない世界です。

 

意識の世界にいる『わたし』と、繋がることが必要です。

 

わたしたちが、意識というスピリットであるということを、夢物語ではなく、心底信頼できていないと、

 

自我の世界からは脱出できないように、トラップが仕掛けられています。

 

 

 

自分自身を信頼できないことは、外に観える世界も、信頼できない世界となります。

 

外に観える世界は、『鏡』となって教えてくれます。

 

 

 

『鏡』に映るわたしを変えたいなら、

 

わたしを、よく観察することです。

 

 

 

試行錯誤しながら、『鏡の法則』を遣いまくって、

 

法則を知って、コツを掴んでいくことです。

 

 

 

 

わたしは、意識だと、心底信じきれるようになるまで、体験を重ねていくことです。