自我の存在に辿り着くまでの時、わたしはよく、自分の想いや、どんな時に、この感情が現れるのかに意識を向けていた時がありました。
例えば・・・
「焦る時って、どういう時に思うかなぁ」
「あぁそうか、準備ができていない時か」
とか、
「なんで、誤魔化すんだろう。」
「あぁそうか、解っていないことを知られたくないんだ。」
とか。
そうやって、自分の想いや感情が、どうやって現れて来るのかを自分で確認することをして、そこから逆算して、焦らなくてすむように、誤魔化さなくてすむように、行動に移していました。
特に、介護職員初任者研修(以前は、ヘルパー2級とか言われてました)の講義をする時に役立ちました。
講義の当日に焦ることがないよう、テキストの端から端まで読んで、「ここで〇番のPowerPointを見せる。」とか記入してましたし、
もし、このことで質問されたら明確に答えることができないなと思う所は、自分がわかるまで調べました。
それでも当日、意外なところで質問を受け、明確に答えることができないと思った時は、後日説明をしていました。
この体験は、『今、この瞬間の到達点』を決定する時に、役立っています。
以前のわたしは、何かに失敗した時や、人間関係で何かがあったとき、必ず想いや感情で頭の中がいっぱいになっていました。
「こう思われているのに違いない。」
「わたしは間違っていない。」
「あんな言われ方しなくてもいいのに。」
と、想いや感情から紐づいた幻想物語を、創りまくっていました。
「不快な出来事」 → 「想いや感情」 → 「想いや感情が沈静化するまで続く、幻想物語」
と、この方法しか知りませんでしたから、このパターンを繰り返していました。
でも、今は違います。
「不快な出来事」 → 反転する → 到達点を決定 → 行動する」へと、変わりました。
いわゆる、「想いや感情」を、すっ飛ばすことができるようになりました。
例えば、職場でなら、
よく調べもせずに、自分の思い込みで資料を作成してしまって、そこを指摘されたとしたら、想いや感情が出張って来る前に、「調べた資料を作成する」という到達点を決定し、そこへ向かって行動し、提出する。
もちろん、こんなことは当たり前のことなんです。
以前と何が違うかというと、わたしの放出しているエネルギーが違うわけです。
以前は、「調べた資料を作成」している間も、「自分は悪くない」みたいな言い訳をブツブツ頭の中で述べ倒していました。
今は、ただ、「資料を作成する」 だけになっています。
このことで、集中力が増し、時間短縮になります。
それに、わたしは、常にエネルギーを放出しています。
「資料を作成する」という目に観える結果は同じかもしれませんが、その資料を作成している間のわたしの意識が、『肯定』の方向へ向いているか、『否定』の方向へ向いているかで、還ってくるエネルギーは、決まってしまいます。
そのしくみを知ったわたしは、
「グチグチ言ってる場合じゃないわ」
と、即、到達点を決定するようになっていきました。
『現実世界』での体験と、『意識の世界』の共通点を探して、
自我に舵を取らせない。
この方が、ずっと楽しい