看護師として働いていたころ、イライラしてしまうのは、わたしに足らないモノがあるからだと思っていました。
例えば、
朝から出勤し、17時に仕事が終わって、再び夜中の12時の夜勤に突入しなければならないような勤務の時は、朝から帰ることを考えていました。
17時まで、私が関わった患者さんの体調や様子、どんなことに対してどんな対応をしたのかを、準夜勤の看護師に申し送りをしなければなりません。
それに、患者さんに何かがあって、まだその対応の途中なのに、
「はい、17時になったから、バトンタッチね。」
などということはできません。落ち着くまで責任をもって対応します。
私としては、私がやるべき仕事をこなして、記録も書き終わり17時には一旦終わりたいわけです。
でも、患者さんの容態が変化することに、私の都合は関係ありません。
ただね。
そうはわかっていても、16時になって何か対応をしなくてはならなくなると、やっぱり
白衣の天使では、いられなくなってしまいます。
だから思ったんです。
「わたしには、足らないモノがあるんだ。だから自己啓発の研修に行こう。」と。
研修に行くと、
「そうだよねぇ~。そうしなくっちゃぁね~。」
と、そう思うのですが、家に帰ってきて、
こんな様子を見た途端、さっきの研修は、どこへやらぶっ飛んで、
病院の時以上の、怖い母ちゃんになってしまってたわけです。
今でこそわかります。
足し算じゃなく、引き算をすればいいんだということが、
「もっと、いい人にならなくてはいけない。」
という思い込みが、
「焦らせる。」
という世界を映し出して、観せてくれていたわけです。
持っているから、しんどくなっていたんです。
そうならなくてはいけないと思っているのに、そうなれない自分がいる。
いい人にならなくてはいけないと思っているのに、いい人ではない自分がいて、いい人ではない自分を見せないようにするために、悪い自分を押し込んでいく。
どれだけ悪い自分を押し込んだとしても、そう思っていることを、わたしは、わかっているから、何のわだかまりもなく、いい人になれない自分を責める。
でも、結局のところは、
悪い看護師さんだと言われると、私が傷つくからという保身がはたらいていた。というお話し。
看護師として働いていたときから思っていたことはありました。
早く帰りたいと焦った日ほど、何かが起こって、結局帰れないんです。
この世のしくみは、完全に平等だと、笑えてしまいます。
何か上手くいかないときは、自我を手放すタイミングです。
『意識の世界』では、引き算をしていきます。
そして『現実の世界』では、足し算をする。
わたしに知識や技術がないことで、おきた結果なら、知識や技術を磨いていく。
『学び』を継続して、積み重ねていく。
この世は、『現実世界』と『意識の世界』の循環で成り立っています。
滞ることなく、サラサラと流れる川のように、循環させていきます。