人間には、感情があってあたりまえ。

 

人間関係を、うまくやっていくコツは、感情をコントロールすること。

 

 

言いたい事を言うのは、わがまま。

 

みんなが言う意見に、「私も、そう思います。」

 

って言っておけば、波風たたないし、私は、穏やかな人だと言われる。

 

 

 

気になることを言うと、

 

「うるさい、ババアだ。」と言われるし、

 

それを聞いたこっちも不愉快になるから、何も言わない。

 

 

 

そんなふうに、

 

 

 

 

我慢して、我慢して、我慢して、我慢して・・・

 

そうやって一生生きていく・・・つもりでした。

 

 

 

 

 

『鏡の法則』 という言葉を知った時、

 

わたしの望むことが、現実世界にボンッドンッ と現れるのかと思ってましたゲラゲラ

 

だって、わたしの意識の投影だと書いてあったから、

 

わたしの望むことを思い続ければ、その望む世界が現れるんだと思ってました。

 

 

 

そんな浅はかな思いからだったにせよ、

 

今では、鏡の法則を遣えるようになったのだから、きっかけなんてなんでもいいんだなと、そう思います。

 

 

 

ほら、よく聞くじゃない。

 

 

 

「なんでギターを弾くようになったの?」

 

って、有名なギタリストに話しを聞くと、

 

「女の子に、もてたかったから。テヘッてへぺろ

 

みたいなお話し。

 

 

 

きっかけは何にしろ、結局はギターの面白さにのめり込んで、ギターを弾くことを止めなかった。

 

 

 

霊性進化も同じです。

 

面白いからのめり込むんです。

 

 

 

 

何が面白いのかって?

 

わたしの観える世界が変わっていくのを、ありありと体験できるから。

 

 

 

 

この世界は、自分の人生をかけた、リアルゲームですよ。

 

この世界のしくみを解いていって、自分の望む方向へ舵を取る。

 

 

わたしは、『快』の方向へ向かいたいんです。

 

目の前に現れた現実が『不快』であれば、『快』へと反転していけばいい。

 

ちょうど、

 

 

 

オセロゲームのようなものです。

 

 

 

自我の世界は、幻想世界が創る感情の世界です。

 

 

感情に振り回されるのが心底イヤなのに、絶対にその世界から出ようとしない、強烈に頑固なわたし(自我)がいる世界です。

 

 

 

 

 

梅干しを、一度でも食べたことがあれば、「梅干し」と聞いただけで、

 

 

「すっぱっ」って思うように、

 

想いは、相反するけれど、同じ波長の自我と出逢うと、

 

感情が反応する。

 

 

言い換えれば、

 

「今、手放すべき自我があるから、感情で伝えるよ。」

 

と、教えてくれているに過ぎないのです。

 

 

 

 

なぜ、自我を手放す必要があるのか。

 

何故なら、自我の世界から脱出しない限り、何も始まらないからです。

 

 

 

 

もっと現実的に言うと、

 

凸という自我をわたしが持っていると、

 

必ず凹という自我を観せられる世界が、目の前で展開するしくみがこの世にはあります。

 

 

 

人には、優しくしなければならない。という凹を持っていると、

 

わたしに優しくしてくれない凸が現れる。

 

 

 

浸透圧のように、恒常性のように、

 

必ず、偏りをなくそうとしてきます。

 

 

 

人には、優しくしなければならない。と思っているわたしが、

 

人に優しくしていない人を見ると、

 

「ダメじゃないのプンプン

 

と、ちっとも優しくないわたしがいたりします。

 

 

 

自分の持つ、拘りに気づくことができれば、

 

フラットな状態になって、

 

優しくしなければならない。と拘らなくても、優しい人になっていきます。

 

 

 

 

感情を感じたら、自我を手放すサインだと気づいて、

 

捨てて、捨てて、捨てまくっていけば、

 

段々と、わたしの真逆にいるわたしと一対になっていきます。

 

 

 

 

そうやって、自我を手放していく過程で、

 

色々な、この世のしくみの理を知っていくことになります。

 

 

 

それが『学び』です。

 

 

学んでいくことで、感情に振り回される世界から脱出していきます。