最近、目の前にある鏡を観て、ジャッジしなくなっているわたしに気づき始めました。

 

その世界は、とても楽で、

 

イメージで言えば、

 

 

 

角が、尖っていたのが、丸くなった感じです。

 

 

 

 

 

母が同居するようになって、3年目に突入しました。

 

母と同居し始めた時、

 

「あれをやって。」

 

「これをやって。」

 

「あれは、もう少しこうして。」

 

「これは、もっとこうして。」

 

と、こっちのことなど関係なしに用を言いつけてきていました。

 

 

 

今は、毎月1回の内科受診と、時々神経内科と、定期健診の歯科と、緑内障手術後の3ヶ月に1回の眼科受診だけになりましたが、

 

同居したての時は、ありとあらゆる症状を訴えるので、

 

内科、眼科、神経内科、歯科、耳鼻科、皮膚科、を1日で受診していました。

 

 

病院へ行く車の中では、以前住んでいた近隣の人たちのことを、あーだこーだと、何度も何度も同じことを聞かされました。

 

 

そんな話しを聞きたくない私は、怒りながら返事をしたり、「そうじゃないでしょ」と、「そんなふうに考えるのが間違っているんだ」と、こちらもやけになっていたもんでした。

 

その時はまだ、自我の世界のことも、鏡の遣い方も、よくわからなかった頃でした。

 

 

 

 

そんなわたしに、

 

イヤなこと、めんどうなことを超えた向こうに、素晴らしい世界があると教えてくれたのが、誰でもない母でした。

 

 

母がやって欲しいと言う事は、わたしにとって、とてもめんどくさいことで、どうでもいいだろうと思うようなことでした。

 

だから、つい

 

「あとで。」

 

と、直ぐにできることでも、そう答えるわけです。

 

 

 

 

でも、イヤなこと、めんどうなことの向こうに何かありそうだと気づいたわたしは、わたしが何をしていても、その手を止めて、とにかく母がいうことを徹底的にやってみようと決めたのです。

 

 

そうするうちに、いつの間にか母は、自分でできそうなことは自分でやって、それでも無理な時にわたしに言ってくるようになりました。

 

 

“ へぇ~、こうなってくるのかぁ ”

 

と、体験したわたしは、母のことに限らず、仕事でも家庭でも、とにかく、イヤだとか、めんどうだとか思ったら、それを跳ね除けて実行するようになっていきました。

 

 

その結果、半端ない満足感が、いつも感じられるようになりました。

 

その満足感は、今も継続しています。

 

 

 

そこまで来れたわたしでしたが、それでもまだ、母の話すことにジャッジしていました。

 

「そうやね。」

 

と言いながら、心の中では、

 

“ また、そんなこと言うとるわキョロキョロ

 

と、ジャッジするわけです。

 

だから、母と話しをすると、「疲れるなぁ~あせる

 

そう思っていたわけです。

 

 

 

鏡の法則を遣うことができるようになっていましたが、それでも身内というのは一番ハードルが高い。

 

身近過ぎて、なかなか鏡を遣えない。

 

 

言い方を変えれば、

 

一番同じレベルの自我を持っているわけですよ。

 

このわたしを産んで育ててきたのは、間違いなく母なのですから。

 

 

 

 

そんなこんなでしたが、

 

身内にも鏡を遣えるようになってきて、数ヶ月前から、母に感じていたわたしの自我の塊が、いつのまにか、ゴッソリ取れてしまいました。

 

 

 

母が、わたしに何かを頼んできたり、話しかけてきても、全くジャッジしないわたしがいます。

 

母と話しながら、

 

“ へぇ~、以前のわたしは、こんなふうにはできなかったなぁ ” と、冷静にわたしを観ているもう一人のわたしがいます。

 

 

 

「ジャッジしてはいけない。」とか、「聴いてあげなきゃいけない。」とか、「やってあげなきゃいけない。」とかが一切なく、

 

ただ、母がして欲しいと思うことを、どうして欲しいのかを聴いて、して欲しいことをする。

 

ただ、母が話しをして、そう思う事を聴く。

 

 

角(かど)が立っていたのが、丸くなった。

 

それは、とても心地いい。

 

 

 

 

そうそうゲラゲラ

 

このブログにイラストを載せる為に、「角(かど)が立つ」って検索したら、

 

 

 

こんなのが出てくるんです。

 

角(かど)が、角(つの)になって、鬼のイラストばっかりが出てくるんです。

 

『角(かど)が立つ』の始まりが、どんなだったかは知りませんが、

 

「角(かど)が立った言い方をする。」とか、

 

「丸くなったなぁ。」と言うのは、

 

自我そのもののことを言ってるじゃん! と、一人で笑ってしまいました。