昨日、承認欲求のブログを書き終えて、
“ ん? わたしが、承認欲求を持っていることは、ダメだと思っているぞ ”
と、違和感を感じました。
じゃあ、承認欲求の『肯定』は?
出た答えは、
『信頼』
でした。
現実世界で、承認欲求を満たすためには、認めてもらえるような現実を創造する必要があります。
約束を守ることや、
自分の私生活での行動や、
その場に合わせた、立ち居振る舞いができたり、
金銭管理ができていたり、
自分の言葉や行動に責任をもっていることや、
仕事に対しても、いつも真摯に向き合う行動をとっていれば、
認めてもらうことは可能かと思います。
また、それらの行動は、自分自身への信頼へとも繋がっていきます。
ただし、自我の裏返しでないならの、お話しです。
この世の理を知っていなくても、
自分自身への信頼は、自分が持つ感覚(羅針盤)を信じることになり、感覚(羅針盤)の向く方向へと舵を取っていきます。
実は、わたし自身がそうでした。
この世界に法則があることなど一切知らなかった時から、自分の感覚が嫌がることはできませんでした。
言い換えれば、自分がやろうと思ったことは、絶対にやってみるわけです。
ここに大きなコントラストを創っていました。
「やってみたい。」と言うのに、「やらない」人を見ると、腹が立ってくるわけです。
4月に入ってテニススクールに行くと、新しく入会された方が、何人かいました。
休憩している時に、1人の女性の方が、私の隣に座り、
「私ね、体力を付けようと思ってここに入会して、今日で2回目なんです。でもね、上手く打てなくて、相手の方に迷惑をかけるので、辞めようかどうしようかと迷ってるんです。」
わたしにとっては、信じられないお話しです。
うっすらと、“ あぁ、課題だ・・・ ” と、聞こえるのですが、こういう時は自我が優位に立ちます。
「いえ、誰も最初から打てる人はいませんよ。」
続けさせたいと、自我が出張ってきます。
結局わたしは、次回その人が参加するかどうかが気になりました。
数回来ていたように思いますが、その後はわかりません。
いえ、ここでお話ししたいのは、彼女がテニスを続けているかどうかのお話しではなく、
わたしは、彼女が観せてくれた課題が気になりながらも、放置していたわけです。
何の課題なのかがわからなかった。と言った方がいいかな。
でも、昨日、承認欲求のことをブログに書いた自分が、承認欲求に対して抵抗しているなと感じたので、『肯定』へ反転してみたらどうだろうと思ったので、反転してみたら、『信頼』となったことで、彼女が観せてくれた課題が、やっとわかりました。
わたしは、「やらない人が赦せない。」のです。
彼女には、彼女の世界があり、彼女がどの世界を選択をしようが、彼女を信頼する立ち位置に立とうとしなかった。
霊性進化したいと言っているのに、やらないわたしがいたのです。
コントラストの存在しない世界を観たいなら、
コントラストが発動する兆しが観えた瞬間に、解除していく行動をとっていく。
わたしがその世界を創造しない限り、その世界を観るコトはできないんだよ。
そして、同時に自我を手放していく。
『否定』を『肯定』に反転していく。
全て、同時進行で。